プロローグ

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「ひとなみ」士官室にて

某港の端、誰も気に止めない桟橋に、その護衛艦は係留されていた。
護衛艦「ひとなみ」。海上自衛隊が密かに保有する6隻目の「たかなみ」型護衛艦である。
その士官室では、接受した行政文書の数々が回覧されていた。

航海長 梶1尉

お、とーみん。成果通知来たよ。

航海長 梶1尉が手にしていたのは「隊員自主募集」の成果通知書である。隊員自主募集というのは、自衛隊員が近親者や友人などを紹介することで入隊に繋げる、いわゆるリファラル採用というやつである。

航海長 梶1尉

良かったじゃん。これで5級賞詞はいただきだね!

募集難を切り抜けるために行われる隊員自主募集。かつては「縁故募集」と呼ばれていたが、「縁故採用」を想起させイメージが悪かったので、数年前に制度名が改められた経緯がある。今でもイメージこそあまり良くないが、採用に繋がれば紹介者が表彰されるとあって、決してバカに出来ない制度である。

航海長から「とーみん」と呼ばれたのは、その同期、水雷長の遠見1尉であった。

水雷長 遠見1尉

ありがと~。
いやぁ、苦労して入隊させた甲斐がありましたなぁ。

水雷長はこの表彰を目当てに、高校の後輩を口説きに口説き、ようやく入隊させることに成功したのだ。あとは、地本(地方協力本部)からの成果通知さえ手に入れば、第5級賞詞、そしてそれに付随する第13防衛記念章は目の前である。

――が、しかし。

水雷長 遠見1尉

……名前が……無い……。え?何これ……?


水雷長 遠見1尉

ええ……だから、もう一度確認してもらえないですか?……え?ダメ?どうしてもですか?……はい……はい……分かりました。それじゃあ仕方ないですね……。はい。こちらこそすみません。はい……またよろしくお願いします。それでは。

電話を切った水雷長は、直後、近くの椅子に倒れ込むように座り、天を仰いでうめき声を上げ始めた。

水雷長 遠見1尉

ぅぇぇぇぇぇぇ……!?どうなってんの!!おい!どうなってんの!!

航海長 梶1尉

あらら、何があったの?

水雷長 遠見1尉

入隊前にこっちから出した通知書を受け取ってないって……いや、絶対嘘だろぉぉ!

航海長 梶1尉

あ~、情報通知書が出てないと縁故募集として認められないもんね。

水雷長 遠見1尉

向こうは「当時の担当者が転出したから分からない」って……!!

航海長 梶1尉

残念だったね!まぁ、いいじゃん。賞詞なんてこれからどんどんもらえるよ。

水雷長 遠見1尉

ええぃ、防衛記念章が3段の奴に何が分かる!?ボクはやっと4個だってのにぃ!

手続き上の行き違い。無情であるが、遠見1尉の5級賞詞の夢はここで絶たれたのであった。

水雷長 遠見1尉

……ここで終わってたまるかぁ!!!

隊員自主募集、再び。

翌週。ある喫茶店の窓側の席には、一人の大学生が座っていた。

京井 未来

……遅いなぁ。

京井未来。頭脳明晰にして容姿もよいが、その性格が災いして大学に友人らしい友人はいない。
誰かと飲食をともにする習慣を持たない未来だが、今日は違った。

水雷長 遠見1尉

おまたせ~!ごめんね、待ったよね!?

そう、遠見1尉である。遠見は、出身高校の部活のOB会員として、年に数回技術指導に顔を出していた。かつて現役生として遠見に面倒を見られていた未来も、今や同じOB会員である。

募集対象者 京井 未来

お久しぶりです。去年の総会以来でしたか。

水雷長 遠見1尉

そうだね。今年は仕事で行けなかったからねぇ。

募集対象者 京井 未来

それにしても、急にどうしたんです?
先パイが連絡してくるなんて、珍しいじゃないですか。

水雷長 遠見1尉

いや、風の噂で、就活に苦戦してるらしいって聞いたもんだから、色々話をしようかなぁって思ってさぁ~

どうしたことだろう。壁に掲示された「ネットワークビジネス等の勧誘行為をされる方は入店をお控えください」の張り紙が、いやに目に付いた。


募集対象者 京井 未来

……ってな感じですね。
どこの企業も一次面接までは通るんですけど、そこから先がダメなんですよ

水雷長 遠見1尉

なんだ、すごいじゃない。ボクはほとんど書類選考で却下だったよ。

募集対象者 京井 未来

先パイの頃は、就職難だったでしょう?今はそういう時代じゃないんですよ。なのにこんな有様ですからね。
……それより分かりましたよ、先パイのねらい。自衛隊に誘いに来たんでしょう?

水雷長 遠見1尉

あら、バレた?

募集対象者 京井 未来

先パイ、私が現役の時にも『自衛隊に興味ある人~』とか言って回ってたじゃないですか。

水雷長 遠見1尉

あー、あったね、そんなことも。誰も申し出てくれなかったけどね。
……それで、どう?話聞いてくれる?

募集対象者 京井 未来

正直言うと、自衛隊にはあんまり興味無いんですよね。そりゃ、大事な仕事だとは思いますし、格好いい仕事だとも思いますよ?
でも、自分で言うのもなんですけど、私の大学は先パイと違って、世間一般で言ってかなり良い方です。

水雷長 遠見1尉

言いづらいことをズバリ言うね、キミは。
そりゃ、ボクは確かに受験に失敗したけどさ。

募集対象者 京井 未来

ちょっと頑張ればSONYやPanasonicみたいな大企業にだって手が届くんです。ここまで来ておいて、自衛隊で鉄砲担いで走り回るってのは、違うかなって。

募集対象者 京井 未来

……まぁ、でも。気にかけていただいているのはありがたいので。
……話を聞くだけなら。

水雷長 遠見1尉

よし、決まり!じゃあまずはパフェを頼もう!

こうして、遠見1尉の長い戦いが始まるのであった。

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