日本の敵を世界の敵にする。世界を動かす「自由で開かれたインド太平洋」構想 その4

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2022年5月、東京で開催された日米豪印「クアッド」首脳会議の記念撮影を行う各国首脳。写真は首相官邸Webサイト(https://www.kantei.go.jp/quad-leaders-meeting-tokyo2022/index_j.html)から転載。
記事の要旨

この記事では、自由で開かれたインド太平洋(FOIP)戦略について、次の内容を説明します。

第1回

  • 概要
    • 自由で開かれたインド太平洋」は、太平洋とインド洋を、アジアとアフリカを繋ぐ国際公共財として捉え、自由なアクセスを維持することで地域全体の繁栄を目指す戦略・構想
  • キーワード
    • 法の支配、航行の自由、自由貿易等の普及・定着
      • 沿岸国による不当な海洋アクセス制限を防止
    • 経済的繁栄の追求
      • 物理的・人的・制度的連結性を確保し、インド太平洋をより「使える海」に。
    • 平和と安定の確保
      • 沿岸国の法執行能力・防衛力強化に協力
      • 海洋の治安を維持

第2回

  • 背景
    • 紛争の増大
      • 東南アジア~アフリカは経済成長著しいが、海賊・テロ等の治安問題を抱え、政治的にも不安定
      • 国家間紛争も根絶できていない状態
    • アメリカの影響力低下
      • 「テロとの戦い」に最適化してしまったアメリカ
      • 国内での分断が進み、世界への関心を徐々に失うアメリカ
    • 中国の台頭
      • 爆発的な経済成長と軍事力整備
      • 国際法と相容れない伝統的思想
      • 独り勝ちを狙い、増えていく「辺疆」

第3回

  • 経緯
    • 第1次安倍内閣における「自由と繁栄の弧」
      • 価値観外交のはじまり
      • 対中封じ込め策と認識されやすく、安全保障に十分踏み込めなかった。
    • 第2次安倍内閣における「自由で開かれたインド太平洋」
      • 防衛にも踏み込んだ、安全保障戦略として登場
      • 軍事色を抑えるため、戦略は構想に
    • アメリカの同調
      • トランプ大統領が支持し、米国の国家戦略に採用
      • 米太平洋軍がインド太平洋軍に改称
    • 沿岸国・欧州の賛同
      • 各国と安全保障に関する協定を締結
      • 日本周辺への艦艇等の派遣が活発化

第4回

  • 意義
    • 望ましい安全保障環境の創出
      • 「力による一方的な現状変更」を否定する風潮が醸成されている
      • 国際社会は日本の防衛力強化を容認
      • アメリカ以外の「同志国」を獲得
    • 対中封じ込め策ではない。
      • 地域全体の繁栄を尊重すれば、中国も利益を得られる。
      • 独り勝ちの断念を促す戦略
  • 評価
    • 「場」を創出する思想を明示した、戦後初「本物」の安全保障戦略
    • アメリカを孤立と迷走から救い出した立役者
    • 効果を得られるかは日本次第
      • 新興国は、日本が本気か否か値踏みしている
      • 欧米諸国にも右傾化の兆し。国際協調への関心は徐々に損なわれつつある。
    • 斜陽国家日本が世界を動かす。
機関長 降旗3佐

さて、長くなったけれど、FOIPの解説もこれで最後よ。
今回は、FOIPの意義を説明して、併せて私なりの評価を述べるわ。

水雷長 遠見1尉

よろしくお願いします。

目次

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意義

望ましい安全保障環境の創出

機関長 降旗3佐

FOIPの意義の一つ目は、日本にとって有利な雰囲気を醸成することよ。
2022年に閣議決定された国家安全保障戦略では、この考え方を「望ましい安全保障環境の創出」と呼んでいるの。

力による一方的な現状変更とは?

機関長 降旗3佐

特に効果として顕著なのが、力による一方的な現状変更を許さない国際的な風潮が形成されていることよ。

水雷長 遠見1尉

ええ、そうですね。

砲術士 嶋村3尉

あの……すみません。
その「力による一方的な現状変更」ってなんですか?時々偉い人が言ってるなとは思うんですけど。

機関長 降旗3佐

「力による一方的な現状変更」というのは、本来話し合いによって解決するべき領土問題などの国際紛争を、武力行使などによって無理矢理解決してしまおうとすることよ。

機関長 降旗3佐

現代の国際法秩序では、武力を行使して良いのは武力攻撃を受けた時の自衛や、国連安保理決議に基づく武力制裁に参加する場合に限られていて、他の理由では武力行使することは認められていないの。

第2条
この機構及びその加盟国は、第1条に掲げる目的を達成するに当っては、次の原則に従って行動しなければならない。
1~2. 省略
3. すべての加盟国は、その国際紛争を平和的手段によって国際の平和及び安全並びに正義を危くしないように解決しなければならない。
4. すべての加盟国は、その国際関係において、武力による威嚇又は武力の行使を、いかなる国の領土保全又は政治的独立に対するものも、また、国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎まなければならない
5~7. 省略

第51条
この憲章のいかなる規定も、国際連合加盟国に対して武力攻撃が発生した場合には、安全保障理事会が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間、個別的又は集団的自衛の固有の権利を害するものではない。(後略)

国際連合憲章
通信士 与那覇3尉

……ちなみに、日本国憲法の戦争放棄規定も、ほぼ同じ意味で作られているよ。

第2章 戦争の放棄
第9条 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
2 前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

日本国憲法

この憲法の戦争放棄規定、一見すると全ての戦争を放棄すべきであるかのようにも見えますが、政府見解では自衛権まで放棄しているわけではない、「交戦権」とは戦争する権利そのもののことではなく、「戦争に伴い交戦国に生じる様々な権利」(商船の拿捕など)のことである、としています。(いささか苦しくはありますが……。)
というわけで、国際紛争の解決(現状変更)のために武力を用いてはいけないという点で、日本国憲法は国連憲章とほぼ同義の規定を有していると言えます。

砲術士 嶋村3尉

ほぇー、そうだったんですね。

通信士 与那覇3尉

日本は北方領土や竹島を奪い返すために自衛隊を出動させたりしないでしょ?あれは、そういうことなの。

砲術士 嶋村3尉

え、そうなの?単に日本が弱腰だからじゃないの?

機関長 降旗3佐

いえ、違うわ。憲法もさることながら、そういうことをするのは明確な国際法違反よ。

砲術士 嶋村3尉

えー、でも、日本の領土が外国に奪われてるんですよ?
なんか、納得いかないですよ。

機関長 降旗3佐

たとえ納得がいかなくても、よ。
考えてもごらんなさい。世界中の国が、そうやって領土を奪い返そうとしたら、どうなるか。

機関長 降旗3佐

例えば、ドイツはロシアのカリーニングラードや、オーストリア、チェコ、スロバキアなどを領土として統治していた時代があったわ。
その隣のポーランドは戦争が起きる度に国境線が東西に移動して、統治していたことのある範囲自体はかなり広範に及ぶわ。

機関長 降旗3佐

トルコやモンゴルだって、かつてはユーラシア大陸を股にかける大帝国を築いたこともあったわ。
その彼らが、「本来自分の物なのに」と感じることが絶対にないと思う?

砲術士 嶋村3尉

うーん……。

機関長 降旗3佐

だいたい、失地回復なんてのは戦争を仕掛ける格好の口実になるのよ。
色々理由をつけてはいるけど、ロシアのウクライナ侵略だって「ロシア人とウクライナ人はもともと一つの民族だったのだから、今一度一つに戻るべきだ」なんてプーチン大統領が論文に書いて、侵略を開始しているのよ?

機関長 降旗3佐

2度の世界大戦で大いに苦しんだ人類は、3度目を起こさないように、いったんそこで状況をストップさせたの。
たとえ不公平でも、気に入らないとしても、そこから先は話し合いによってのみ解決しましょうって。

機関長 降旗3佐

竹島や北方領土は、奪われた時点で日本に防衛する手段が用意されておらず、為す術がなかったわ。今まさに武力攻撃を受けているときなら、自衛権の発動によって侵攻兵力を撃退することも出来たけれど。
いったん状況が落ち着いて平時に戻った以上、今から奪い返すのはまさしく失地回復のための武力行使にしかならないわ。

砲術士 嶋村3尉

うーん。じゃあ、仕方ないです……。

通信士 与那覇3尉

……しかし、コレ。聞こえは良いですけど、要は既得権益を崩すのは許さないって、戦勝国に圧倒的に有利な法秩序ですよね。
そういう考えの下、アメリカは世界中に軍隊を差し向けて、中国の目の前で活動させてますけど、中国が軍隊を整備して海外に進出しようとしたら大騒ぎじゃないですか。
まあ、今のところ日本の利益になってるから、別に良いんですけど。

機関長 降旗3佐

それでも、戦争が起こるよりはマシと、人類は考えたのよ。


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「力による一方的な現状変更を許さない」が共通認識に

機関長 降旗3佐

でも、今の国際法秩序は欧米が作り上げたもので、それに世界が従わされている――そういう認識を持っている人は決して少なくないわ。

機関長 降旗3佐

実際、国連憲章が発効した後も武力紛争が絶えなかったのは、皆も知っているとおりよ。
法秩序は守り守らせる意思と力があって、初めて維持されるわ。その意思に欠ければ、秩序が乱れていくのは自明なのよ。

機関長 降旗3佐

その観点から言えば、FOIPは法秩序を守るための意思と力を各国に定着させようとしてるわ。

水雷長 遠見1尉

巡視船の供与のような能力構築の支援ですね。

機関長 降旗3佐

ええ、そうよ。でもそれだけではなくて、何よりも「世界各国が関心を持ち、関与しようとしている」ということ自体が与える影響は大きいわね。

機関長 降旗3佐

南沙諸島を考えてみましょう。ここで行われている国際法秩序への挑戦はなんだったかしら?

水雷長 遠見1尉

中国による人工島の建設と、その周囲への領海などの主張。あとは軍事拠点化とかですね。

機関長 降旗3佐

そのとおりよ。でも、それでは悪いことをしているのは中国だけなのかしら?

水雷長 遠見1尉

えっと……どうなんですかね?

通信士 与那覇3尉

人工島の建設なんかはベトナムなんかもやってますね。フィリピンは意図的に船を座礁させて、そこを拠点にしてますし。

水雷長 遠見1尉

あ……そうなの?

機関長 降旗3佐

ええ。中国があまりにもアグレッシブで、大規模に行動しているから影に隠れがちだけれど、他の国も現状変更のための実力行使自体は結構やっているのよ。南沙諸島に限らず。
でも問題は、どちらが悪いかではなくて、地域の国際法秩序が乱れていることなの。

機関長 降旗3佐

その点、FOIPの活動は力によって現状変更をしないことにインセンティブを生じさせているわ。おかげで、90~00年代は現状変更の波に取り残されまいとしていた新興国も、10年代以降は自らの法的地位の確立に傾注するように、少しずつシフトしてきているわ。

機関長 降旗3佐

その代表例は仲裁裁判所によるフィリピン対中国の南シナ海仲裁ね。あくまで国際法に基づいて行動していることを国際社会にアピールすることで、中国の行動を食い止めようとしているわ。
まだまだ、ベトナムの人工島埋め立てなどは継続しているけど、彼らも自ずと気付く時が来るわ。

水雷長 遠見1尉

そういう共通認識が作られるのは良いことですね。

機関長 降旗3佐

そう。この力による一方的な現状変更を許さない雰囲気を醸成しておけるかは、日本にとって死活問題と言っても過言ではないわ。
小規模な武力行使くらい誰も咎めないような社会になってしまったら、日本が被害を受けても周りの国は支援してくれなくなるでしょうし、侵略する側からしても、気軽に侵略できるようになってしまうんですもの。

水雷長 遠見1尉

スラム街でスリや強盗が起きたくらいでは、誰も大騒ぎしないのと同じですね。
だからこそ、インド太平洋地域の遵法意識を高めておくことで、日本を侵略する心理的ハードルを高くしておくと。

機関長 降旗3佐

ええ、そういうことよ。


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日本の防衛力強化が容認される

機関長 降旗3佐

「望ましい安全保障環境」のもう一つは日本の防衛力強化に諸外国が異を唱えなくなっていることよ。

水雷長 遠見1尉

そりゃあ、そうでしょう。これだけ中国、ロシア、北朝鮮が活発に活動してたら、誰も文句は言いませんよ。

機関長 降旗3佐

本当にそうかしら?客観的に考えてみて。この国は、たった数十年前にインド太平洋地域を巻き込む大戦争を引き起こした国なのよ?
そんな国が、隣国が軍事力を強化しているからと言って、いきなり防衛予算を2倍にして、長射程ミサイルを配備したり、水陸両用作戦能力を底上げしたりしているの。あなたが過去に侵略を受けた国だったら、本当に許容できる?

砲術士 嶋村3尉

でも、日本が戦ったおかげでアジアの植民地が解放されたんですよね?
だから、向こうの人たちは侵略だと思ってないんじゃないですか?

機関長 降旗3佐

そういう側面も無いわけでは無いけれど……、でも、そういう話だけを真に受けない方が良いわ。

通信士 与那覇3尉

……遠洋航海の時、いろんな寄港地に慰霊碑があったでしょ?あの戦争では、現地人からなる多数の将兵が日本軍と戦って戦傷死しているし、巻き添えになった市民も数え切れないほどいた。だから、戦後独立した多くの国が日本に謝罪と巨額の賠償を求めていたよ。アメリカが宥めたり交換条件だしたりしてなんとかなったけど。
あの戦争が現地民の利益になったかは別として、市民の感情として、日本が加害者であると感じるのは何も不思議なことではないよ。

砲術士 嶋村3尉

ふーん、そうだったんだ。

機関長 降旗3佐

脅威の重さで言えば、冷戦の時だって、ソ連の脅威は大変大きいものだったけれど、日本の防衛力強化には国内外からの批難が絶えなかったわ。
今、これだけ日本が動いていることに対して、周りが何も言ってこない。あの韓国ですら日本の防衛力強化に歓迎的なのは、むしろ異常とも言えるのよ。

水雷長 遠見1尉

……そうか、そういうことか。
分かりました。「FOIPのため」という名目があるから、周りの国は文句を言ってこないんですね。

機関長 降旗3佐

いえ、名目だけではないわ。実が伴っているからよ。
今回の防衛予算急増まで、日本は第1次安倍政権の時から15年にわたって価値観外交を続けてきたでしょう?FOIPが始まる前から各国と安全保障についての考え方の摺り合わせを重ねてきたわ。そして、FOIPを提唱してからは自衛隊を使った防衛交流を続けてきたでしょう?

水雷長 遠見1尉

言われてみれば……。中国だって、一帯一路を掲げて各国との交流を深めようとしているのに、中国の防衛力強化ばかり批難の対象になってますね。

機関長 降旗3佐

それはひとえに、FOIPを通じて防衛力の運用方針を透明化させてきたからなのよ。「日本は、地域の国際法秩序を維持して、地域経済を活性化させることによって生き残りを図ります。そのためにこういう防衛力整備をして、こういう活動をします。」というポリシーを、言葉にするとともに行動で証明してきたわ。

機関長 降旗3佐

もちろん、防衛力強化が受け入れられているのは、FOIPのおかげだけではないわよ?戦後間もない頃から一貫させてきた平和国家としての実績に、発展途上国の開発協力、独特の文化によるソフトパワー。そうした先人達の一つ一つの積み重ねが、日本への信頼を築き、今の日本を利することになっている。そのことを忘れてはいけないわね。


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アメリカ以外の「同志国」を獲得

機関長 降旗3佐

「望ましい安全保障環境」のもう一つは、アメリカ以外に数多くの「同志国」を獲得できていることよ。
同志国というのは、同盟国ではないけれど、価値観の一致などによって深い関係を構築している、潜在的な味方国のことよ。

水雷長 遠見1尉

こういう国って、果たして本当に必要なのかなと思ってたんですけど、ウクライナ戦争を見ていると意義がよく分かりますね、

機関長 降旗3佐

そうでしょう?ウクライナ戦争では、戦争の当事国でない多くの国が、ロシアやウクライナに武器・弾薬の提供などの支援を公然と行っているわ。
国際法上、戦争の当事国と中立国の区別は依然としてあるのだけれど、本来中立国が遵守すべきとされてきた中立義務は最早有名無実化しているの。これは戦争そのものが違法化された現代では特に顕著ね。

水雷長 遠見1尉

いっそ、同盟を結んではダメなんですか?

機関長 降旗3佐

ダメと言うことはないけれど、同盟には自ずと参戦義務が伴うから、結構ハードルが高いわ。
そもそも、日本はようやく集団的自衛権を認めるようになったくらいで、外国のために戦う覚悟はまだ十分に出来ていないでしょう?双務性の無い日米安保の考え方が、他の国にも通用すると思ってはいけないわ。

通信士 与那覇3尉

……というか万が一、国連安保理決議で武力制裁のために国連軍を編成することになったら、日本はどうするんですかね?

船務長 先野1尉

それにだ。中立国というのも、アレはアレでなかなか良いもんだぞ。
中立国は好ましくない動きを見せていても、直ちに敵とは認定できないからな。戦略レベルでは、中立国が介入してきた場合に備えつつ、介入を防ぐ手立てを考えなければならなくなるし、戦術レベルでは、戦域に中立国軍が所在するかもしれんとなれば、敵味方識別をより慎重にせざるを得なくなり、また中立国軍が相手国を支援していないか、いちいち確認しなければならなくなる。

水雷長 遠見1尉

Hearts of Iron IVでおなじみのパネー号事件ですね……。

用語解説

パネー号事件

日中戦争が始まってすぐの1937年12月、長江で在中アメリカ国民の救助活動にあたっていたアメリカの軍艦パネー号などを、日本海軍機が誤爆・撃沈した事件。日本は慌ててアメリカに謝罪・賠償して、ひとまずの解決をみた。
が、指揮官が処罰・更迭されるなどして日本軍は以降の作戦ペースを大幅に減速させざるを得なくなった。また、他の事件(南京事件など)と併せて、後にアメリカが中国を公然と支援し日米対立が深刻化する遠因になった。

船務長 先野1尉

いずれにせよ、同志国の存在は相手の考慮事項を増大させ、意思決定サイクルを遅延・劣化させることができる。
下手に同盟を結ばれるよりは、むしろ中立国のままISRアセット兼兵器廠として働いてくれるのが一番ありがたいのだよ、ククク……。

水雷長 遠見1尉

さ、左様ですか……。

用語解説

ISR

Intelligence(情報収集)、Surveillance(監視監視)、Reconnaissance(偵察)の頭文字を取った略称で、敵部隊の所在・編成・行動内容などの情報を収集し、兵力運用や攻撃目標の選定など、自軍の意思決定に活用することを言う。

たとえ長射程・高威力な火砲を大量に保有していても、どこに移動してどこに撃つべきかを判断出来なければ、保有していないも同然である。そこで、人工衛星や哨戒機、はたまたどういうわけか軍に直通できる衛星電話を携行する漁民など、様々な手段をもって敵情を分析することが戦闘の第一歩になる。

近年では、この概念にTargeting(ターゲッティング:目標を精測して攻撃諸元を得ること)を加えISRTと呼ばれることも多い。ウクライナ戦争では、まともにISR兵力を運用できていなかったはずのウクライナ軍が、ロシア軍に対して次々と的確な砲撃を実施していた。その理由は誰もがだいたい察しているが、明らかになると世界中が困るので、謎に包まれている。

機関長 降旗3佐

さっき言ったとおり、同盟を結ぶというのは一蓮托生になることだから、本当に締結するのはかなりハードルが高いわ。その点、同志国はそこまで厳密ではないからこそ、関係を築きやすいわね。
もちろん、実際に頼りになるか不確定性が増してしまうのがデメリットになるわね。だからこそ、いざというときに味方になってもらえるよう、不断の努力が必要になるのよ。


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対中封じ込め策ではない

機関長 降旗3佐

さて、FOIPのもう一つの意義が対中封じ込め策ではないことよ。

水雷長 遠見1尉

これって、中国に配慮する各国にも参加がしやすいようにってことですよね?

機関長 降旗3佐

それもあるけれど、それだけではないのよ。
FOIPの目指す先にあるのは、中国やロシアをも取り込むことよ。

水雷長 遠見1尉

中国を……取り込む……?
え、何をおっしゃってるんですか?

機関長 降旗3佐

日本にとって重要なのは、外国から侵略を受けることなく、経済的な繁栄も維持していくことでしょう?だから、必要ないなら別に中国を蹴落とす必要なんてないのよ。

機関長 降旗3佐

そして水雷長が今中国を敵視しているのは、尖閣諸島を奪おうと敵対的な行動をしているからで、台湾や南沙諸島など他の地域にもアグレッシブな動きを続けているからでしょう?
もし、そういう動きを中国が抑制して、平和的な国家として国際社会に参画してきたら?

水雷長 遠見1尉

それは……確かに、違うかもしれませんけど。
でも、そんなこと、あるわけないじゃないですか。

機関長 降旗3佐

可能性は低いかもしれないわね。
でも、その余地は残しておかないと。日本か中国、どちらかが滅びるまで永遠に競争することになるわよ。


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独り勝ちの断念を促す

機関長 降旗3佐

そこで重要になるのが、中国にも勝ち筋を用意してやることよ。

機関長 降旗3佐

中国は今、アメリカに比肩するアジアの大帝国になろうと、なりふり構わず、周辺国を収奪して回っているわ。そうして独り勝ちしようと必死なのよ。
でも、それを諦めてもらう。インド太平洋地域の国々と協力し合って、一緒に繁栄することを目指してもらう。「中華民族の偉大なる復興」とやらの実現は遠のいてしまうけれど、その代わり、他国と潰し合って全てを失うリスクを回避出来る。

水雷長 遠見1尉

それは……。

機関長 降旗3佐

もちろん、話はそんなに簡単にいくものではないわ。基本的に、彼らとの対立は回避出来ないでしょう。
でも、抑止が破綻しないよう、事態をコントロールし続けて、最終的には好き勝手しない方が得になるように仕向けるの。そうすれば、仲良くにこやかに、とはいかずとも、結果的に中国が地域諸国と協力し合う未来はきっと作れるわ。

機関長 降旗3佐

安倍総理は、FOIPを発表したとき、中国の一帯一路を全否定しなかったのよ。インフラへのアクセスが特定の国に独占されず、どの国にも開放されることや、地域の債務について返済可能性をきちんと確保すること。そうした条件の下でなら、日本も一帯一路を支持すると言ったの。

水雷長 遠見1尉

それって……ほとんどFOIPじゃないですか。

機関長 降旗3佐

そう。一帯一路の方向性をFOIPの方向に修正させようとしたのよ。

機関長 降旗3佐

ただし、世界情勢を見る限り、今のところその試みは失敗していると言わざるを得ないわね。
でも、今がダメだからと言って、10年先、20年先がそうだとは限らないわ。そのゴールが見えているだけでも大きく違うのよ。


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包摂性

水雷長 遠見1尉

あの。ちょっと気になってたんですが。
FOIPは基本的人権の尊重とか、民主主義とかの価値観を重視するという掲げていますけど、中国が外国に目立った干渉をしなくなるなら、共産党政府と共存するんですか?
あの国、はっきり言って人権や民主主義の敵じゃないですか。

機関長 降旗3佐

とても難しい問題ね。
でも、水雷長のその考え方でいけば、FOIPは中国共産党を滅亡させないといけないことになるんじゃないかしら?

水雷長 遠見1尉

それは……。いえ、確かにそう言ってるのかもしれません。

機関長 降旗3佐

そうなれば、当然中国との戦争は避けられないわね。
今一度、思い出して。なんのためにFOIPを実現しようとしているのか。

水雷長 遠見1尉

地域の繁栄のため……、いえ。日本が平和に、豊かに生き残るためです。

機関長 降旗3佐

そう。基本的人権や民主主義の重視は確かに大事なことよ。それが実現出来ている国が増えるのは気分も良いわ。でも、それはあくまで手段。
少し汚い言い方をすれば、地域全体の協力や繁栄ですら、日本が平和を享受して繁栄していくための手段に過ぎないわ。それがイコールになるようにしているけれどね。

機関長 降旗3佐

だから、価値観や政治体制が異なる国であっても、FOIPの実現に向けて協力し合えるなら、協力するの。これをFOIPの包摂性と言うわ。

水雷長 遠見1尉

なんだか、打算的ですね……。

機関長 降旗3佐

100パーセント味方になってくれないなら手を取り合えない、なんて思っていないかしら?そういうナイーブな考え方は捨てた方が良いわ。

機関長 降旗3佐

譲れない部分、つまり法の支配を推進することや、力による一方的な現状変更を許さないこと、そういうところ以外は、多少気に入らないことがあっても許容して、FOIPの実現に向かって協調していくの。
だからこそ、これは対中封じ込め策ではないと言えるのよ。

水雷長 遠見1尉

正直、ちょっと納得いかないですが、分かりました。


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評価

機関長 降旗3佐

それでは、最後にFOIPに対する私なりの評価を述べるわね。

「場」を創出する思想を明示した、戦後初「本物」の安全保障戦略

機関長 降旗3佐

FOIPは、おそらく戦後初となる本物の安全保障戦略よ。

機関長 降旗3佐

戦後の日本には、おおよそ安全保障戦略というものが無かったわ。
最近でこそ戦略三文書が制定されるようになったけれど、2013年に国家安全保障戦略が登場するまでは、防衛計画の大綱や中期防衛力整備計画のような「侵略を受けたらどう対処するか」「防衛力整備のために何をいくらまで買って良いのか」しか示されてこなかったの。

機関長 降旗3佐

でもこれらは受動的で、しかもテクニカルな話ばかり。
そもそも日本という国が、何を目的とする国なのか。その実現のために、保有するリソース(外交・防衛が主ではあるが、それ以外のあらゆる国力を含む)をどこに重点的に投下するのか。そういったビジョンを持ったことがなかったのよ。

水雷長 遠見1尉

手厳しいですが……納得ですね。

機関長 降旗3佐

FOIPは、国際情勢を分析した結果、日本が決して譲れない国益(主権と独立の維持、国民の生命・身体・財産の安全確保、経済成長による繁栄、基本的人権などの普遍的価値観の擁護など)を守るため、どういった主体的行動を取るべきかを考え抜いた結果、生まれた戦略・構想よ。だから、これは安全保障戦略と呼べるのよ。
そして現行の戦略三文書は、FOIPの考え方をさらに細かく、系統立てて整理したものよ。

日本人が苦手としたはずの「場」の創出

機関長 降旗3佐

もう一つ、特に評価しているのが「望ましい安全保障環境の創出」つまり「場」を作ることを志向していることよ。

機関長 降旗3佐

何故かといえば。こう言ってはなんだけれど、日本人ってそういう考え方が苦手だったじゃない?
目の前に明確に見えているモノへの対応は得意。でも、目先のことに囚われて大局的に考えられない。あるいは目に見えない考慮事項が全然入ってない。ある程度国際競争に勝つけど、すぐ不利なルールを作られて尻すぼみになる。

水雷長 遠見1尉

……確かに。軍事に限らず、民間企業でもそういう話はよく聞きますね。

機関長 降旗3佐

その点、FOIPは日本に有利な「場」を作ってしまおうという、日本人がこれまで持たなかった発想の下にあるわ。
FOIPを実現したからと言って、武器の射程や威力が伸びるわけではないし、部隊の練度が上がるわけでもない。むしろそのためにも使えたはずのリソースを、他のところに使ってしまうの。
でも、そうして作られた「場」が間接的に日本を強くして、あるいは相手を弱くしてくれるわ。

船務長 先野1尉

……私はな、このFOIPは、日本政府が全世界レベル、数十年単位で仕掛けている情報戦だと思ってる。

用語解説

情報戦 Information Warfare

情報を活用することで、自らの意思決定の優越を確保し、敵の意思決定を打倒する戦い。「認知領域の戦い」「意思決定中心の戦い」など、様々な類義用語が乱立しているが、細かな違いはあれど意味するところは概ね同じである。

その方法・様相・実施主体は多様で、自らの正当性を主張して自勢力の士気を維持しつつ敵勢力にプレッシャーをかけるのも情報戦であれば、敵の作戦完遂に不可欠な部隊を看破して一番嫌な時期に火力を集中するのも情報戦。非常に広範で捉えどころが無く、各国で言葉の定義すら統一できていないのが現状であるが、物理的な目標そのものではなく、彼我の意思決定に注目して情報を活用する点で一貫している。

情報戦と言えば偽情報を流して敵を混乱させること……と思われがちだが、それは情報戦の極めて限られた一手段であり、本質ではない。

機関長 降旗3佐

そうね。地域諸国や力による現状変更を志向する国家に影響を及ぼして、自らに望ましい反応を引き出そうとしている点では、まさしく情報戦と言えるわね。

船務長 先野1尉

つまりだ。極論すると、日本政府はFOIPの推進を通じて、日本の敵を世界の敵にすり替えようとしているってことだ。日本のやることには世界が賛同し、日本の敵には世界の批難が集中する。そういう状況を作り出そうとしてるのさ。

日本が侵略を受けたとき、外国にどんな人がいたら助かる?
機関長 降旗3佐

もちろん、話はそんなに簡単なことではないわ。
そういう風に受け取ってもらえるようになるには、今とは比べものにならないほどの国際社会への貢献が必要よ。そうやって信頼を築いてすら、日本が傲慢な態度を取ればそんな信頼はたちまち崩れるわ。

船務長 先野1尉

まあ、日本の敵を世界の敵に、は少し風呂敷を広げすぎたかな。
が、方向性はそんなに間違っていないはずだ。

機関長 降旗3佐

国際社会は敵か味方か、なんてはっきり色分けできるようなものではないんですもの。少しでも多くの国を、少しでも日本寄りに引っ張ることが出来たら、FOIPは日本に大きな利益をもたらすでしょうね。


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言葉で明示することの重要性

機関長 降旗3佐

安全保障戦略としての話で言えば評価すべき点はもう一つあるわ。
それはきちんと言葉にして明示したことよ。

水雷長 遠見1尉

……それって、そんなに凄いことなんですか?

機関長 降旗3佐

それはもう、言葉にするのとしないのとでは、全然違うわ。
どれほど崇高な理念を抱いていても、表現しないことには誰にも理解してもらえないんですもの。

水雷長 遠見1尉

言われてみれば……。戦後、安全保障の改革をしようとした政治家って、あんまり大声で理念を発しない人が多かったですね。

機関長 降旗3佐

それか、精神面での理想は語っても、具体的にどのようなアプローチで日本の生き残りを図るのか、という方法論にまでは行き着かなかった人がほとんどでしょう?

機関長 降旗3佐

FOIPは日本の外交力・防衛力をはじめとする国家のパワーを、何のために、どういう方向に使うのかを明示したのよ。

水雷長 遠見1尉

そうすれば、言行一致しているか否かで、外国からも信頼が得やすいですね。

機関長 降旗3佐

ええ。文化や慣習の違う相手に理解してもらうためには、当たり前のようなことでも、しっかり説明しないと理解してもらえないわ。

機関長 降旗3佐

それに、政策というのは一人で動かすものではないから、国内の意識を統一するためにも、方針を明示することが必要よ。
日本がFOIPを宣言した2016年からは、そろそろ10年が経とうとしているわ。その間にも、官僚や政財界の主要メンバーはどんどん替わっていくのよ。

水雷長 遠見1尉

そうか……。明文化してなかったら、安倍総理が凶弾に倒れた時点で、方針を示す人がいなくなってしまってたんですね……。

機関長 降旗3佐

ええ。強力に推進していた有力者がいなくなると、政策の意義が理解されなくなって、軸がブレていくのは世の常よ。
でも、FOIPは何故それが必要なのかも含めて練られているわ。だから、時代の変化に合わせながらも、ブラすべきではない方向性は堅持しやすいと言えるわね。


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アメリカを孤立と迷走から救い出した立役者

機関長 降旗3佐

二つ目に評価できるのは、アメリカを孤立と迷走から救い出した立役者であることよ。

水雷長 遠見1尉

そういえば、トランプ大統領って、国際会議の場で浮いてて、きちんと話せるのは安倍総理だけだったって話がありましたね。

機関長 降旗3佐

ええ。その手の話は誇張されているところもあるから、あまり真に受けすぎない方が良いのだけれど、トランプ大統領が国際会議の場で孤立を深めていたのは事実よ。

機関長 降旗3佐

孤立してしまった原因は、トランプ大統領の内向きな政策決定にあったわ。それまで外国に対し積極的に関与、あるいは干渉してきたアメリカが、国内経済にばかり注目して外国との関係を蔑ろにしてしまったのね。
特に、各国に防衛費の負担増や米軍駐留費用の負担増を求めたり、その時に恩着せがましい態度をとってしまったのが良くなかったわ。

通信士 与那覇3尉

アメリカはアメリカで、世界中に軍を配備することで国益を得ているのに、勝手な話ですよ。全く。

機関長 降旗3佐

多くの国が米軍の展開によって平和を享受できているのは事実だけれど、それを心情的に受け入れられるかはまた別ね。
それに、核抑止力をはじめとして、アメリカなど超大国以外は軍事力を極力持たないようにする戦後世界秩序を、アメリカが作り上げたのも事実。

機関長 降旗3佐

そういった複雑さをことごとく無視して、単純な経済問題に置き換えてしまったトランプ大統領に、世界中が呆れていたと言っても過言ではなかったわね。

機関長 降旗3佐

そして、トランプ政権は、貿易摩擦を理由に中国との対立を選択しながら、アジア方面についてほとんど戦略や方針を有していなかったことが、後の補佐官などの述懐によって明らかになっているわ。
だから、就任から1年も経たないうちに、政権運営は立ちゆかなくなってしまった。

水雷長 遠見1尉

それを救ったのがFOIPというわけですか。

機関長 降旗3佐

そう。アメリカの国家安全保障戦略や国家防衛戦略にFOIPが組み込まれたのは前回説明したとおり。
これによって、アメリカはインド太平洋地域に積極関与していく方針と、諸外国との関係を維持できたのよ。

機関長 降旗3佐

FOIPを取り入れたトランプ政権のアジア政策は必ずしも正しくはなかったわ。特に、北朝鮮との融和を進めた結果、核・ミサイル開発を進展させる時間的猶予を与えてしまったのが大きな失敗ね。
でも、そうやって弱腰な姿勢を見せているときですら、東シナ海や南シナ海でのプレゼンスオペレーションは堅持されて、中国の影響力拡大をある程度抑制することが出来たの。

水雷長 遠見1尉

FOIPを導入せずに、なんとなく進んでいたら、どうなっていたことか……。


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効果を得られるかは日本次第

機関長 降旗3佐

さて、ここまで良い評価を重ねてきたけれど、少し手厳しいことも言うわよ。

機関長 降旗3佐

FOIPは、日本がその国運を賭すのに相応しい安全保障戦略だけれど、それがきちんと効果を発揮して日本の国益に資するかどうかは、依然不透明よ。成功を収めるためには、日本自身の努力や覚悟が問われているの。

新興国の値踏み

機関長 降旗3佐

FOIPが成功しなくなるかもしれない、もっとも大きな要因は新興国よ。
彼らがきちんとFOIPの実現に協力してくれればいいのだけれど、協力してもらえなかったら、いくら日本や欧米が動いたところで、さして効果は得られないのよ。

水雷長 遠見1尉

それはそうかもしれませんけど、FOIPって地域全体の繁栄に繋がるんですよね。そこまで心配しなくてもいいんじゃないですか?

船務長 先野1尉

甘いな。話がそんなに単純に運ぶわけが無いだろ。

機関長 降旗3佐

こう言ってはなんだけど……FOIPって面倒くさいのよ。
新興国には新興国なりの既成の文化、ローカルルールがあるでしょう?特定の人しかその商売に参入してはいけない、とか、地域の有力者にお礼を包まないとその地域で商売をしてはいけない、とか。
我々の目から見れば不公正だとしても、彼ら自身にとっては当たり前の慣習であることも珍しくないわ。でも、FOIPを推進するとなれば、それをある程度は変えてもらわないといけない。そうなれば、待っているのは地域コミュニティとの摩擦よ。

水雷長 遠見1尉

それは……なんと言いましたっけ?
そう、包摂性ってヤツで、ある程度お目こぼしすればいいんじゃないですか?

機関長 降旗3佐

そうね。今はそうやって妥協して、彼ら自身が自ら変革してくれるように促しているの。でも、包摂性はFOIPへの参加を促す上で重要なのだけれど、同時にFOIPの意義を揺るがしかねない危険性を孕んでいるのよ。

機関長 降旗3佐

実のところ、彼らに変わるつもりが一切無かったとしたら?そのお目こぼしのおかげで、少しずつFOIPの軸が変容してしまっては、元も子もないの。
仲間を増やしていくためには清濁併せ呑む度量の深さが必要。でも、度量が深いつもりが、単に哲学が無いだけ、優柔不断なだけに終わってしまう危険性は否定できないわ。

水雷長 遠見1尉

なるほど……色んな国をFOIPのペースに巻き込むはずが、FOIPが色んな国のペースに巻き込まれていくんですね。
そうならないためには、受け入れられない部分には妥協せずNOを突きつけないといけないですね。

機関長 降旗3佐

でも、きっぱりNOを言わなければ、と口にするのは容易いけれど、実際にNOを突きつけるのは非常に難しいわよ。

機関長 降旗3佐

実際、第2次安倍内閣は中国に対しては強硬路線であったけれど、ロシアに対してはかなり甘かったわね。2014年にクリミア半島に侵攻したり、その後もシリアに巡航ミサイルを撃ち込んだりしたり。アサド政権による化学兵器の使用にも関与した可能性が極めて高いとも言われていたわ。それでも、安倍総理はプーチンを「ウラジミール」と呼んで、「我々は同じ未来を見ている」と呼びかけたのよ。

水雷長 遠見1尉

そういえば、そうでした……。

機関長 降旗3佐

はっきり言うけれど、これは第2次安倍政権において1位2位を争う失策だったと思うわ。
でも、北方領土問題をなんとか前進させたかったのでしょうし、米英に加えてロシアまでもFOIPを推進してくれれば、いよいよ中国も方針を改めざるを得なくなると考えたのでしょう。

水雷長 遠見1尉

そこの見極めが難しいですね……。

機関長 降旗3佐

他の例を挙げると、水雷長も気付いていると思うけれど、FOIP推進国の中でもインドには注意すべきよ。

水雷長 遠見1尉

そうですね。ウクライナ侵攻に伴うロシアへの制裁には加わらないし、非難決議を棄権したり、ボストーク演習にわざわざ参加したり。ちょっと独自路線を行っていることが多いですよね。

機関長 降旗3佐

インドは歴史的背景もあって、欧米との一体化を避けるようにしているの。だから冷戦期も東西いずれの陣営とも距離を置いてきたわ。
地政学的にも、国力的にも、欠かすことの出来ない存在だから、日本や欧米はインドを味方に引き入れようと努力を続けているけれど、そういう原則を無視しては話が始まらないわ。

水雷長 遠見1尉

あれ?でも、確かインドって中国と国境紛争やってますよね。なおのこと、FOIPに接近した方がいいんじゃ?

機関長 降旗3佐

そう、単純ではないのが難しいところね……。
中印国境紛争は内陸部であるが故に、海洋での活動を主とするFOIPが彼らの安全を保障してくれるわけではないわ。
もちろん、後ろ楯として西側諸国に全く期待していないわけではないからこそクアッドにも前向きなんでしょうけど、それを担保に中国と全面的に事を構える気は無い、という事なのでしょうね。

機関長 降旗3佐

問題は、FOIPの有力プレーヤーとして期待されているが故に、多くの問題に皆が目をつむっていることよ。
そもそも、元を正せば世界の核拡散防止体制を無視して核開発したけれど、その事も今では不問に付されているし。近年ではモディ政権の下で急速に権威主義国家へと変貌をとげつつあるけれど、ここについても他国ほど批判を受けていないわ。

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水雷長 遠見1尉

「普遍的価値観を共有する」って、インドとの外交の時に必ず使いますけど、本当に価値観を共有できているのかは、確かに注意しないといけませんね。

機関長 降旗3佐

インドに限らず、インド太平洋地域の新興国は、伝統的価値観の位置づけや、多様な民族問題、周辺国との紛争など、FOIPを推進する上での懸案事項を多数抱えながら成長を模索しているわ。
そこに日米や中国が勢力争いしながら支援をオファーして回っている。彼らからしてみれば、双方にいい顔をしつつ心地よい距離感を保って、支援額を釣り上げていくのが最適戦略になるわ。

水雷長 遠見1尉

そうなると、FOIPに全賭けしてくれるような国は現れない、と。

機関長 降旗3佐

それはそうよ。一から十までアメリカと運命を共にするつもりである日本が異常なの。

機関長 降旗3佐

何にせよ、新興国は我々を値踏みしていると見た方がいいわ。
ここで言う値踏みは「いくら払えるか」だけではないわ。向こう何年間続けるつもりなのか、どの程度まではポリシーを曲げるつもりなのか、FOIP実現のために対抗勢力と事を構える覚悟はあるのか、内部分裂しそうになったときにきちんと抑えられるリーダーシップがあるのか……。

機関長 降旗3佐

なにしろ印象がものをいう領域よ。
政治家の言動だけでなく、我々海上自衛官の振るまいひとつが諸外国の意思決定を左右するわ。それどころか、国民一人一人の振る舞いを通じて、色んな国が日本は本気なのかを探っているのよ。

水雷長 遠見1尉

日本がこれまで経験したことのない苦労を強いられそうですね。

機関長 降旗3佐

じゃあ、水雷長が日本のリーダーだったとして。
日本に好意的で防衛協力にも前向きだけど、FOIPの価値観には賛同していないA国。そして、FOIPの実現には前向きだけど、日本とは距離を置いているB国。この2つの国があったら、水雷長はどうする?

水雷長 遠見1尉

えーっと……。そうですね……。
FOIPの実現はあくまで手段であって、日本を守る事が目的なわけですから、A国と仲良く……、いえ。でも、長期的に見れば、やっぱりFOIPが実現された方が日本のためにはなるか……。うーん……。

機関長 降旗3佐

……ふふ。何を言ってるの。どちらとも仲良くすればいいじゃない。

水雷長 遠見1尉

あっ!?

機関長 降旗3佐

いい?仲良く出来そうなところがあれば、仲良くすればいいの。
そうやって関係を築いた上で、少しずつ影響を与えていけばいいのよ。

水雷長 遠見1尉

むぅ……。外交って難しいんですね……。


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欧米の右傾化、徐々に失われる関心

機関長 降旗3佐

日本の覚悟が問われるもう一つの懸念材料は、欧米の右傾化よ。
移民問題やウクライナ戦争への支援疲れなど、様々な理由から欧米諸国では右傾化が浮き彫りになってきているわ。

水雷長 遠見1尉

アメリカのトランプ大統領の登場なんて、まさにその好例ですね。

近年のヨーロッパにおける右傾化の兆候
  • EU全体
    • 2024年の欧州議会選挙で右派ポピュリズム政党が躍進し、全議席の2割程度を確保
  • フランス
    • 2024年、欧州議会選挙での右派躍進に反応して行われた、国民議会の解散総選挙において与党連合が大敗。第1回投票において極右政党(国民連合)が第1党となる結果になった。
      第2回投票に際し与党連合と左派連合(新人民戦線)の選挙協力が行われ、極右政党の第1党化の阻止には成功したが、各勢力とも議席の約1/3を分け合う膠着状態に。
  • イタリア
    • 2022年、右派のメローニ政権が誕生。首相の率いる右派政党(イタリアの同胞)は、LGBTの権利拡大反対、移民排斥、反イスラムなどの主張を掲げている。
  • ドイツ
    • 与党(社会民主党)の人気低迷が続き、近年の世論調査では極右政党AfD(ドイツのための選択肢)の支持率が社会民主党の支持率を上回る。AfDは欧州議会選挙でも議席数を増やす。
  • スペイン
    • 2023年の議会総選挙において、中道右派政党(国民党)が与党・中道左派政党(社会労働党)から第1党の座を奪取。
  • オランダ
    • 2023年の議会総選挙において、極右政党(自由党)が勝利し、議席を大幅に増やした。
    • 2024年、前年の議会総選挙を受け、自由党を中心とする4党が連立政権を発足。自由党党首は閣僚に入らなかったが、政権への強い影響力を発揮。
  • ハンガリー
    • オルバン政権の極右政党(フィデス)が欧州議会選挙で議席数を増やすなど存在感を増大させている。
    • オルバン首相はフランスのマクロン大統領などを念頭に「エリートがもたらすのは、戦争と停滞と移民」と公言し、ロシア・中国を訪問し首脳会談するなど、独自の動きを見せている。
  • その他、スウェーデン、フィンランドなどでも右派が政権に加わるなど。
機関長 降旗3佐

右傾化自体が悪い、とまでは言わないけれど、FOIPを考える上では大きなリスクとなるから知っておかないといけないわ。
何故かと言えば、ここで言う右傾化というのは、諸外国との協調や経済支援などを縮小するべきという主張が存在感を増していることを指すからよ。

水雷長 遠見1尉

そう言えば、日本でも首相が外国と首脳会談して「●●●億円規模の経済援助で合意」なんてニュースが出ると「子供には金を出さないのに、外国にはそんなにばら撒くのか」っていう反応が出ますね。ヨーロッパのは、あれをもっと凄くした感じですか。

機関長 降旗3佐

ええ。外国にお金を出すのは、後できちんと返済されることがほとんどだし、支出額以上のメリットがあるからやっているのだけれど、なかなか理解されないわね……。
でも、先進国はどこの国も経済に閉塞感がみられるから、そういう発想になってしまうのは仕方ない面があるわ。

機関長 降旗3佐

問題は、欧米でこうした意見が日本より急速に浸透しつつあることね。
つまり、欧米諸国のFOIPへの関心が急速に薄れ、これまで活発に行われてきた防衛協力などが縮小していく恐れがある、ということよ。

水雷長 遠見1尉

……つまり、日本が取り残されるってことですか?

機関長 降旗3佐

だから前回言ったじゃない。日本は旗振り役を買って出た以上、もう後には退けないのよって。
欧米が積極的であれば、徐々に主導権を渡していくというのも手ではあったのだけれど、彼らにとってFOIPは日本ほど死活的問題ではないわ。結局のところ、日本にとって必要な戦略なのだから、日本自身が実現に向けて邁進していくしかないのよ。

機関長 降旗3佐

これまでは欧米の影響力を笠に着ることも出来たけれど、これからはそうではなくなる可能性が否定できないわ。日本が、我々自身の知恵を振り絞って、持てる影響力をフルに行使して、インド太平洋地域諸国をまとめていかないといけないのよ。

水雷長 遠見1尉

うう……その前に日本が折れてしまいそう……。


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斜陽国家日本が、世界を動かす。

機関長 降旗3佐

さて、ここまで評価を述べたけれど、水雷長はどう感じたかしら。

水雷長 遠見1尉

そうですね……。実現が大変だということはわかりましたけど、やっぱり日本には必要な戦略だと思います。

水雷長 遠見1尉

それに……。こう、何というか。やっぱりワクワクしますね。
日本って、経済規模から言えば世界有数の大国のはずだったのに、いつも他の国の後ろに隠れるばかりで。それが、日本が発案した戦略に基づいて世界中が動こうとしている。
……こういうこと言って良いのか分からないですけど、凄くスカッとします。

機関長 降旗3佐

そうね。やはり主導権を握るというのは気分が良いものなの。
これは正負両方の側面を持っているから、十分に理解しておく必要があるわね。

水雷長 遠見1尉

そうですね。
小泉悠先生が著書で「ロシアはアメリカの好敵手として世界第2のプレーヤーであらねばならないと考えている」ってよく書いてるんですけど、それもなんとなく分かる気がします。

機関長 降旗3佐

そこまで分かっているなら、もう一つ大切なことがあるわ。
それは、日本が持つ影響力はこれから低下の一途を辿るということよ。

水雷長 遠見1尉

少子化……ですね。

機関長 降旗3佐

ええ。残念だけれど、少子化による生産力の低下は、最早不可避のところまで来ているわ。生産力の低下は、防衛力の低下のみならず、市場縮小によって国際社会での存在感・発言力の低下ももたらすわ。
この影響力低下は、スピードを遅らせることは出来ても、低下そのものは防ぐことが出来ないの。

水雷長 遠見1尉

まさに斜陽国家……。

機関長 降旗3佐

ここから言えることは2つ。
まず、衰退していく現実を受け入れなければならないということ。
FOIPを通じて世界を動かす快感を知ったとしても、世界を動かすことそのものに固執してはいけないわ。

水雷長 遠見1尉

むぅ……。

機関長 降旗3佐

もちろん、影響力が大きい方が何かと都合は良いの。だから、影響力を維持する努力はしないといけない。
でも、そのことと、大国の幻想を追いかけて合理的でない行動に出ることは違うわ。残り少ないリソースは、メンツを保つことより、日本の生き残りのために余すことなく用いられるべきよ。

水雷長 遠見1尉

なるほど。そういう意味でしたか。
確かに、世界中色んな国が自国を偉大に、といって失敗してますもんね。

機関長 降旗3佐

2つ目は、今のうちにしっかり影響力を行使しておくべきということ。
FOIPの実現を目指すのは、本当に大きな負担になるわ。でも、今やらないと意味が無いの。衰退していく日本が、ソフトランディングできるかは、着地点を整備しておけるかに大きく依存しているわ。

機関長 降旗3佐

斜陽だなんだ、と言っても、まだ今の日本には大きな力が残っているの。
滅亡が避けられないからって、その終わりを座して待つなんて、私は出来ないわ。息子達には、せめてわずかな希望でも残しておきたいもの。

機関長 降旗3佐

だから、海上自衛隊はギリギリの状態だとしても、もう少し無理をしないといけないのよ。

水雷長 遠見1尉

うっ、そうでした……。
すごくいい話だったのに、そこだけは希望が持てないんですよね……。


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機関長 降旗3佐

さて、長くなっちゃったけど、これでFOIPの簡単な説明はおしまいよ。
あとは日々ニュースを見て考えてね。中級課程やCSでもこう言う話はするけど、やっぱり日々考えておくことが大切よ。

水雷長 遠見1尉

ありがとうございました!

まとめ

この記事では、自由で開かれたインド太平洋(FOIP)戦略について、次の内容を説明します。

第1回

  • 概要
    • 自由で開かれたインド太平洋」は、太平洋とインド洋を、アジアとアフリカを繋ぐ国際公共財として捉え、自由なアクセスを維持することで地域全体の繁栄を目指す戦略・構想
  • キーワード
    • 法の支配、航行の自由、自由貿易等の普及・定着
      • 沿岸国による不当な海洋アクセス制限を防止
    • 経済的繁栄の追求
      • 物理的・人的・制度的連結性を確保し、インド太平洋をより「使える海」に。
    • 平和と安定の確保
      • 沿岸国の法執行能力・防衛力強化に協力
      • 海洋の治安を維持

第2回

  • 背景
    • 紛争の増大
      • 東南アジア~アフリカは経済成長著しいが、海賊・テロ等の治安問題を抱え、政治的にも不安定
      • 国家間紛争も根絶できていない状態
    • アメリカの影響力低下
      • 「テロとの戦い」に最適化してしまったアメリカ
      • 国内での分断が進み、世界への関心を徐々に失うアメリカ
    • 中国の台頭
      • 爆発的な経済成長と軍事力整備
      • 国際法と相容れない伝統的思想
      • 独り勝ちを狙い、増えていく「辺疆」

第3回

  • 経緯
    • 第1次安倍内閣における「自由と繁栄の弧」
      • 価値観外交のはじまり
      • 対中封じ込め策と認識されやすく、安全保障に十分踏み込めなかった。
    • 第2次安倍内閣における「自由で開かれたインド太平洋」
      • 防衛にも踏み込んだ、安全保障戦略として登場
      • 軍事色を抑えるため、戦略は構想に
    • アメリカの同調
      • トランプ大統領が支持し、米国の国家戦略に採用
      • 米太平洋軍がインド太平洋軍に改称
    • 沿岸国・欧州の賛同
      • 各国と安全保障に関する協定を締結
      • 日本周辺への艦艇等の派遣が活発化

第4回

  • 意義
    • 望ましい安全保障環境の創出
      • 「力による一方的な現状変更」を否定する風潮が醸成されている
      • 国際社会は日本の防衛力強化を容認
      • アメリカ以外の「同志国」を獲得
    • 対中封じ込め策ではない。
      • 地域全体の繁栄を尊重すれば、中国も利益を得られる。
      • 独り勝ちの断念を促す戦略
  • 評価
    • 「場」を創出する思想を明示した、戦後初「本物」の安全保障戦略
    • アメリカを孤立と迷走から救い出した立役者
    • 効果を得られるかは日本次第
      • 新興国は、日本が本気か否か値踏みしている
      • 欧米諸国にも右傾化の兆し。国際協調への関心は徐々に損なわれつつある。
    • 斜陽国家日本が世界を動かす。

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