「ひとなみ」の人事はベッド脇で決まる。口にはせずとも、誰もがそのことは認識していたと思います。
特に「寝室での人事」が盛んだったのは水雷長だと思います。水雷長は、毎日のように、代わる代わる分隊員を自分の寝室に呼び寄せては2人きりになって、何やら親しげに話をしていました。そこで何が行われているか、私も概ね察しは付いていましたが、関わると面倒な事になると思ったので、何もしませんでした。
答申書(護衛艦「ひとなみ」3等海尉 与那覇 礼)から抜粋
この記事では、艦艇における携帯電話等の持ち込み制限について、次の内容を説明します。
- 艦艇では、士官寝室に携帯電話を持ち込みできない。
- 海自では、秘密保全の規則により、職場内への携帯型情報通信・記録装置、私有可搬記憶媒体の持ち込みが禁止されている。
- 士官寝室は職場と見なされる。
- 幹部の執務室として、行政文書の作成・管理が行われ、情報システム端末が設置されているため「居住区画」と見なせない。
- 士官室も同様
- 携帯電話だけでなく、音楽プレーヤー、カメラ、ゲーム機等も持ち込み禁止となる。
- 充電不能、防犯上の不安、家族メールの運用困難、目覚ましとしての使用不可など、多くの支障を生じている。
- 艦によっては、空室の士官寝室を居住区画としている場合もあるが……。
- 規則と艦艇の構造・業務フローの擦り合わせを行うべき
- 本来「サロン」「応接室」である士官室を執務室として使う海自
- 立入制限場所以外で秘密情報を扱うことは妥当か?
- そもそも職場内への持ち込み禁止の必要はある?
- 艦への士官執務室の設置が必要
この記事は、読者の皆さまに自衛隊の未来について考える機会を提供するため、世間に向けて声を上げることの出来ない自衛官の思いを取り上げます。
なお、情報提供者の特定を防止するため、内容を脚色しております。ご了承ください。
な、なんか出だしから不穏なんですが……。
私は警衛士官想いなので、事故が起きたときのために、予め答申書を作らせておいたのだ。感謝してくれたまへ。
そんなことより、幹部には携帯電話やパソコンを持ち込める居住区画が無いって、どういうことですか!
士官寝室は携帯電話持ち込み不可!?
今、キミが口にしたとおりだ。この組織では、士官寝室に携帯電話やパソコンを持ち込むことは禁止されている。故に、我々にそうしたモノを持ち込む余地はない。アンダースタン?
えぇ……
仕方ない。納得いっていないようなので、もう少し詳しく説明してやろう。
秘密保全の規則
まず、この問題の根幹にあるのは秘密保全の話だ。情報保証の話も少し絡んでいるがな。
情報保全と情報保証
情報保全とは、カウンターインテリジェンス、つまり敵対的勢力による情報活動から隊員や秘密情報を防護することを指す。秘密保全は情報保全の一種とされる。
情報保証とは、サイバーセキュリティ、つまり情報システムやネットワークを正常に動作させ、適切な人物のみ適切な情報資源へアクセスできる状態を維持することを指す。
海上幕僚監部では、情報保全は情報課が、情報保証は指揮通信課が担当する。
似通った言葉ではあるが、前者が情報自体に着目しその媒体を問わないのに対し、後者はコンピューターやネットワークに着目している点で異なる。したがって、たとえば紙の秘密文書を送達する場合は秘密保全の規則に従う必要があり、秘密区分のないデータを電子メールで伝送する場合は情報保証の規則に従う必要がある。
この二者が交わるところ、すなわち秘密文書の電子データ(秘密電子計算機情報)を電子メールで伝送する場合は秘密保全・情報保証両方の規則に従う必要がある。
秘密保全の規則を読み解いていくと、携帯電話の持ち込みについては、二つの制約があることになる。
一つ目は、保全区画への持ち込みの制限だ。秘密情報を扱う区画は、その業務に関係しない職員の立入りや、モノの持ち込みが制限される。至極まともな話だろう?
(立入りの制限)
第10条 官房長等又はその指定した者は、本省の管理する施設内で、秘密が取り扱われ、又は設置されている場所について、秘密の保全上必要があるときは、その場所への立入りを制限するものとする。(機器持込み制限)
秘密保全に関する訓令(防衛省訓令第36号。19.4.27)
第13条 管理者又は施設を管理する者は、次に掲げる場所その他必要と認める場所について、携帯型情報通信・記録機器の持込み(以下この条において「機器持込み」という。)を制限するものとする。
(1)第10条の規定により立入りが制限された場所
(2)日常的に秘密を取り扱う執務室(障壁等により物理的に隔離した区画においてのみ秘密を取り扱う場合には当該区画に限る。)
(3)秘密を取り扱う会議を実施する会議室(当該会議の実施中に限る。)
(4)秘密を保管する保管施設
別紙第2
立入制限場所等における機器持込み制限について
(中略)
2 用語の定義
(1)携帯型情報通信・記録機器
携帯電話、携帯情報端末(PDA)、映像走査機(ハンディスキャナー)、写真機、録音機、ビデオカメラ等、通話、記録等の機能を有する機器をいう(以下「携帯電話等」という。)。(中略)
4 持込みの許可
(1)職員は、以下により許可を受けた場合を除き、持込み禁止場所等(注:省秘訓令第13条及び特別防秘訓令第12条に規定する持込みを禁止する場所)に携帯電話等を持ち込んではならない。(後略)
秘密保全に関する訓令の解釈及び運用について(通達)(防防調第4607号。19.4.27)
CICとか第1電信室とか、入口に立入禁止の札が貼ってある部屋ですよね。そりゃあ、そういうところに携帯電話を持って入っちゃいけないのは分かります。
でも、他の場所なんて、そういうところじゃないでしょう?
この持込み禁止場所等への携帯電話等持ち込み禁止は、秘密保全訓令に基づき行われる……つまり、防衛省共通ルールとして定められたものだ。
ここで、2つめのルール。これは海上自衛隊限定で定められているものだ。秘密の取扱いの細部について定めた文書が存在する。ここでは見せないが、入隊したら読んでみろ。
その文書によれば、携帯型情報通信・記録機器と私有可搬記憶媒体について、職場内への持ち込みを禁止することとされている。
さっき言った情報保証も関係しているというのはここ。職場の定義が情報保証の規則に由来しているからだ。
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士官寝室は「職場」
でも、規則上、居住区画は職場に入らないんですよね?
(定義)
防衛省の情報保証に関する訓令(防衛省訓令第160号。19.9.20)
第2条 この訓令において、次の各号に掲げる用語の意義は、それぞれ当該各号に定めるところによる。
(1)~(8)省略
(9)職場 防衛省の職員( 以下「職員」という。)が通常勤務する執務室等及び部隊に勤務する職員が部隊活動のため通常勤務する執務室等以外の場所で活動する場合の活動場所(営舎、船舶、防衛大学校及び防衛医科大学校に居住する者については、居住する営舎、船舶、防衛大学校及び防衛医科大学校の居住区画を除く。)をいう。
(10)~(12)省略
問題はそこだ。
確かに、字面通りに考えれば、士官寝室は「居住区画」であって、職場ではないと見なすべきなのだろう。だが、そうするわけにはいかない事情があるのだ。
第一に、士官寝室は幹部の執務室として扱われている。
え、寝室で働いているんですか。
幹部が仕事に使える区画なんて、士官室か士官寝室くらいだぞ。
哨戒長のワッチ中にCIC内でポチポチやる方法もあるが……。
だから、幹部が行う行政文書の作成や管理も士官寝室で行われている。昨今のペーパーレス化や、管理厳格化で、書棚に置かれた行政文書はほとんど姿を消したが。
それでも無くならないのが人事だ。依然として紙で残っている勤務記録表抄本や勤務調査表は、分隊長/士の寝室で管理せざるを得ない。「小会議室」みたいな部屋も艦には無いから、分隊長と分隊員の面談は分隊長の士官寝室で行うのが一般的だ。
あー、そんな感じなんですね……。
そして何より、情報システム端末……つまりMSIIクローズ系端末などの業務用PCが設置されている。
逆説的だが、「士官寝室が居住区画」だとすれば、我々は職場では無い場所で、秘密情報や個人情報を取り扱い、情報システム端末を取り扱っていることになる。それを認めるわけにはいかんのだ。
だから、「士官寝室は職場」ってことですか……。
そういうことだ。
ちなみに、パソコンについて言えば、今回説明している秘密保全関係規則以前に、情報保証訓令で職場内への持ち込みが禁止されているのは、前に説明したとおりだ。
士官室にも同様のことが言える。
行政文書の作成・管理に使用され、情報システム端末が設置されている。こうした点から見て、職場になることは間違いないのだ。
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携帯電話だけではない、持ち込み禁止物
持ち込んじゃいけないのは携帯電話だけじゃないよ。他にも色々……
規則を振り返ってみよう。職場内……つまり士官寝室への持ち込みが禁止されているのは、携帯型情報通信・記録機器と私有可搬記憶媒体だ。
別紙第2
立入制限場所等における機器持込み制限について
(中略)
2 用語の定義
秘密保全に関する訓令の解釈及び運用について(通達)(防防調第4607号。19.4.27)
(1)携帯型情報通信・記録機器
携帯電話、携帯情報端末(PDA)、映像走査機(ハンディスキャナー)、写真機、録音機、ビデオカメラ等、通話、記録等の機能を有する機器をいう(以下「携帯電話等」という。)。
(定義)
防衛省の情報保証に関する訓令(防衛省訓令第160号。19.9.20)
第2条 この訓令において、次の各号に掲げる用語の意義は、それぞれ当該各号に定めるところによる。
(1)~(4)省略
(5)可搬記憶媒体 情報システム又は目的特化型機器に挿入又は接続して情報を保存することができる媒体又は機器のうち、可搬型のものをいう。
(6)~(12)省略
携帯電話やPDAは名指しで携帯型情報通信・記録機器にされてますね。あとは、カメラやICレコーダーも、ですかね?
ああ。
加えて言うと、それらは同時に可搬記憶媒体としても扱われるぞ。USBメモリやSDカードだけではなく、パソコンに繋いでデータの読み書きができる機器は可搬記憶媒体として取り扱われるのだ。
そのため、携帯電話、デジタルカメラ、ICレコーダーなどは携帯型情報通信・記録機器であると同時に私有可搬記憶媒体になる。
携帯型情報通信・記録機器であり 私有可搬記憶媒体ではないモノ | 携帯型情報通信・記録機器であり 私有可搬記憶媒体でもあるモノ | 携帯型情報通信・記録機器ではなく 私有可搬記憶媒体であるモノ |
---|---|---|
フィルムカメラ ハンディスキャナ(内蔵メモリなし) ゲーム機(通信・撮影機能のあるもの) | 携帯電話 デジタルカメラ ICレコーダー | USBメモリ SDカード CD/DVD/BD ウォークマン等の音楽プレーヤー |
……この分類だと、スマートウォッチもダメってことですか?
その通りだ。スマートウォッチは機種によって機能がまちまちなので一概には言えないが、多くの場合は通信機能や録音機能などを備えている。少なくとも携帯型情報通信・記録機器には該当するだろう。PCとUSB接続して画像や音楽データを読み書きできる場合は、可搬記憶媒体にもなる。
あと、通信機能、撮影機能があってはダメだから、ゲーム機もダメなんだよね……。Nintendo Switchとか。
愚かな。ゲーム機全てがダメだとでも思っているのか?
こんなこともあろうかと、私はゲームボーイアドバンスSPを持ち込んでいる。これならCICの中で遊んでいてすら、誰一人私に注意することは出来ない!言っておくが、PSPやDSはダメだぞ!
まるで競馬や競艇の選手ですね……。
それ以前に、職務に専念する義務って知ってます?
なかなか厳しいのが電子辞書だ。
ほとんどの電子辞書には、簡易メモ機能も付いているし、パソコンと接続してコンテンツを保存する機能も付いている。
電子辞書持ち込み禁止って言われたら、英文電報を読むのはほぼ無理ですよ。
このあたりは、管理者が個別に許可すればいいことにはなっているから、それで対応するしかないな。
なんだ、それなら他の機器も許可すれば……
言っておくが、本来は禁止なところ、例外的に許可するのだ。業務上やむを得ない場合に限られるに決まっているだろ。個人の娯楽のために認めていたら、あっという間に監査で火あぶりにされるぞ。
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想像を絶する幹部の携帯電話管理
じゃあ、皆さんは出勤時、家に携帯電話を置いてくるんですか?
いや、連絡が付かないと困るからな。持って出勤してる。
艦に着いたら、士官室や士官寝室前に携帯電話格納箱があるから、そこに格納するんだ。それ以外の機器は、とてもではないが格納箱にも入らないから、持ってくることは出来んな。
最近になって格納箱を整備した部隊はいいけど、対応の早かった部隊だと格納箱のサイズが足りないものだから、格納箱周辺にスマートフォンが雑多に山積みされるんだよね……
うへぇ
ここで問題になるのが充電と防犯だ。
なにしろ、端末を士官寝室内に持ち込む事が出来ないから、充電できない。電源を切っておくことにはなるが、電子家庭通信(家族メール)を使う時には電源を入れることになるし、寄港地では持っていかないわけにはいかんからな。どこかで充電をしなければならない。
どうしてるんです?
格納箱内で充電するしかない。
モバイルバッテリーを寝室内で充電し、そのバッテリーを格納箱にいれてスマートフォンの充電に使う。
あるいは、士官寝室内から充電ケーブルを格納箱まで敷設して充電するか。
いずれのやり方も、火災の原因になる恐れがあるから、応急長は反対してるんですよね……。
実際、格納箱内でモバイルバッテリーによる充電をしていたら、熱が籠もって発煙した事案が陸上部隊であったとか。
ケーブルを伸ばすのも、ドアの開閉の度にケーブルが圧迫されるから、半断線による火災が心配です。
士官寝室に限った話ではないが、満足に充電出来ないとなれば、モバイルバッテリーの数や容量を増やさなければならなくなる。
それだけ、艦の管理下にないリチウムイオンバッテリーが溢れかえることになるな。いずれ問題になることだろう。
そして、防犯面、個人のサイバーセキュリティの観点からも、誉められた状態とは言えんな。何しろスマートフォンはそれ自体が高価な電子機器だし、電子マネーやクレジットカードとも紐付けされた決済手段でもある。早い話、財布を剥きだしで廊下に放置しているようなものなのだが……。
鍵付きの格納箱を設置していても、格納箱自体はマグネットで壁に貼ってるだけだったりするしな。
普段もそうですけど、造船所で修理してる時なんかは不特定多数の人が艦を出入りするから、結構怖いですね。
それに、スマートフォンは個人情報を多数格納しているし。
IPAの試験(情報処理安全確保支援士試験など)だと、携帯電話って紛失したり盗まれたりするために存在してますもんね。
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生活にも支障をきたす、持ち込み制限
地味なところで言えば、電子家庭通信(家族メール)を使うのがダルいという問題もあるな。
電子家庭通信
厚生用途のため、航海中の艦艇から、隊員の家族・友人との間で電子メールの交換を行えるようにする装置・サービス。「家族メール」と俗称される。私物のスマートフォンからメールの送受信が出来るのが特徴。食堂等にwifiのアクセスポイントが設置されており、そこに繋ぐことで、艦内の専用サーバーとの間で電子メールの送受信を行う事が出来る。スマートフォン・艦内サーバー間の送受信はいつでも出来るが、実際に外部と送受信されるのは1日に1~2回程度。
やり取りのできるアドレスは事前に登録しておく必要がある。また、各艦で「禁止ワード」が設定されており、フィルタリングに抵触すると送信されない。
画像データを取り扱う余地もあるとされるが、実際にはテキストメッセージのみで運用されている。
また、メールの送受信だけでなく、ニュース(テキスト形式)の配信も行われる。
そうですね……。部屋の中でやり取りできないから、通路に立ったまま、メールを読み書きしないといけないですし。
最近では、スマートフォンでVODを見られる仕組みも出来てきたというのに、通路で立ったまま動画を見るやつがあるか、という話だな。
VOD
Video On Demandの略。システム内に記録された映像を、必要なときにネットワーク経由で配信させることで、DVDのような記録媒体の移動なしに再生する技術。
艦艇部隊では、「ラジオ・テレビ受信装置」の事を指す。各居住区のテレビに接続されており、事前に記録しておいた映像を任意のタイミングで再生する(VOD)ことが出来る。ただし、映像の品質はよろしくないようで、娯楽用途としての評判は必ずしも良くない。
かなしみ……。
あと、目覚まし時計として使えないのが残念ですね。
同室の人を起こしてしまうから、普通の目覚まし時計が使えないですからね。携帯電話は音鳴らさずに振動させられるから、艦乗りにはいい目覚まし時計になるのに……。
そんなの、どうせ次直起こしが来るからいいだろ。
何度言っても最後に起こしに来るんです……。45分には皆が集まり始めてるのに、55分に起こされるんですよ。
……それでいつも交代が遅いのか。
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対策
なんとかならないものですかね?士官寝室を居住区画と見なせるようにすればいいんですよね。
ウチの艦ではやっていないが、よその艦では、空いている士官寝室1部屋を、行政文書・パソコン持ち込み禁止にして、居住区画化したところもあるぞ。幹部のスマートフォンは全てこの部屋の中に格納し、充電も使用も、全てこの部屋の中でやるようにしているそうだ。
どうしてこの艦ではやらないんですか?
空き部屋がいつでも空き部屋とは限らないからだ。
司令部が乗艦すれば幕僚の部屋を用意してやらねばならないし、再練成訓練や年次練度維持訓練をやれば、FTG指導官。海賊対処行動派遣ともなれば、医官や海上保安官。何かと部屋は必要になる。
そうなったときに、「幹部が携帯電話いじりたいから、この部屋は使えないんです」とは言えんだろ。
そうなるくらいなら、はじめから携帯電話格納箱で我慢しとけ、というのがこの艦の方針だ。
それに……自分の寝室でベッドに寝っ転がりながらいじりたいんであって、そういう使い方をしたいわけじゃないんですよね。それこそ、動画見てるところに副長とか入ってきたら気まずいし……。
想像するだけで鳥肌が立つな。
皆、そこまで副長嫌いなんですね……。
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【意見】規則と艦艇の構造・業務フローの擦り合わせを!
それにしても、なんでこんなことになっちゃってるんです?
何のことはない。規則を作った人間は、まさかこの世に船舶などというモノが存在するとは知らなかったのだ。
もっとも、原因はそれだけでは無いがね。
秘密保全や情報保証の規則が出来るより遥かに昔から、艦というものがあったのだ。そして規則が出来たとき、「艦は違うから」と規則を遵守しないで済ませてきた。そのごまかしが効かなくなってきたのだな。
正直、士官寝室への持ち込み禁止なんて、ここ最近までは誰も守ってなかったんだよね。
これは別に携帯電話やパソコンだけの話ではないぞ。行政文書管理規則も、個人情報管理規則も、ありとあらゆる規則が艦艇では実現困難な制約を課しているが、問題が顕在化してきたのはここ最近になってからだ。
いいかげん、そういうのはしっかり擦り合わせして下さいよ……。
こればかりは返す言葉もない。
士官室は本当に執務室か?
少し脇道に逸れるが。業務のあり方が噛み合っていない、という点で言えば、士官室がまさにそうだ。
これは前の職場の上司の受け売りだが、海自のように士官室にパソコンを並べて執務室として使っている海軍は皆無なのだと。
……他に、どんな使い方があるんです?
サロンだよ、サロン。リラクゼーションスペース。
将校の特権として、くつろぐのに使うのだ。
あとは応接室として。
そういえば、遠洋航海のときの研修で艦艇を見学したら、バーカウンターとか、ダーツとかが置いてあった国がありましたね。あれはどこだったか……。
艦内飲酒を禁止する米海軍を模倣した海上自衛隊では、特別な許可がない限り艦内飲酒を禁止しています。一方、他国の海軍(特に英国海軍に倣った海軍)では、一定の条件の下で飲酒が認められているところもあり、そうした艦艇を訪問すると、士官室内で酒席が設けられることも珍しくありません。
そういうわけで、米海軍にしても、英海軍にしても、外国の海軍ではむしろ士官室に仕事を持ち込むことを禁じているのがほとんどだ。
士官室で仕事しないなら、どこでするんです?やっぱり自室ですか?
いや、自分が受け持っているパートの執務室でだ。
つまり、キミならソーナー室や砲雷科事務室で、ということになる。
部下の顔を見ながら仕事をしろってことですか。
……確かに、一理ありますね。
にも拘わらず、海自は士官室で仕事をすることを旨としている。それどころか、士官室で仕事を進めていないと指導されることすらある。
どうせ、帝国海軍の伝統ってやつでしょう?
いや……、ボクもあんまり詳しくないけど、帝国海軍も士官室はサロンとして使ってた気がする。だからこそ、サロンである士官室(Wardroom)に入れてもらえない若手士官が士官次室(Gunroom)で食事したり、休憩したりしてたはずだよ。
そのとおりだ。
先ほどの上司が言うには、士官室で仕事をする文化は、帝国海軍の駆逐艦など、小型艦の文化なのだと。本来仕事を持ち込むべきではないサロンだが、スペースがないので、やむを得ない場合に限り、艦長や副長から許可を得て行っていたようだ。
……そうか。
海上自衛隊って、設立当初は警備艇や駆逐艦しか無かったから……。
そのようだな。例外がいつの間にか当たり前になり、艦が大型化しても継承された、ということだ。
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立入制限場所で取り扱われる秘密情報
でも、それで上手く行くなら良いんじゃないですか?
実際、そっちのほうが仕事がやりやすいから、皆そうしてるんですよね?
ところが、そうもいかんぞ。
士官室で仕事をするというのは、秘密保全規則から言ってもかなりグレーなのだ。何しろ、幹部が業務に使用している情報システム端末は、特定秘密や省秘にアクセス出来るのだからな。業務の内容によっては、秘密情報自体を作成したり閲覧したりすることも珍しくはない。それを、士官室でやるのか、という話だ。
士官室で取り扱っちゃいけない情報なんですか?
グレーだ。
まず、立入制限の行われているCICや第1電信室は、まず間違く問題にならない。そのための立入制限だからな。
一方、立入制限の行われていない区画も、確かに規則上は絶対に秘密情報を取り扱ってはいけないわけではない。
(立入りの制限)
第10条 官房長等又はその指定した者は、本省の管理する施設内で、秘密が取り扱われ、又は設置されている場所について、秘密の保全上必要があるときは、その場所への立入りを制限するものとする。(機器持込み制限)
秘密保全に関する訓令(防衛省訓令第36号。19.4.27)
第13条 管理者又は施設を管理する者は、次に掲げる場所その他必要と認める場所について、携帯型情報通信・記録機器の持込み(以下この条において「機器持込み」という。)を制限するものとする。
(1)第10条の規定により立入りが制限された場所
(2)日常的に秘密を取り扱う執務室(障壁等により物理的に隔離した区画においてのみ秘密を取り扱う場合には当該区画に限る。)
(3)秘密を取り扱う会議を実施する会議室(当該会議の実施中に限る。)
(4)秘密を保管する保管施設
確かに、秘密の保全上必要なければ立入制限しなくて良いように読めますし、立入制限してない場所でも秘密情報を取り扱うことを前提に書かれてますね。
とは言え、秘密保全の本旨から言えば、どこでも秘密情報を扱って良いという話ではない。どの程度緩和するのかを部隊の裁量に委ねられてはいるが、立入制限場所以外での秘密情報取り扱いは、あくまで必要最小限に留めるべきだ。
第46 閲覧について
秘密保全に関する訓令の解釈及び運用について(通達)(防防調第4607号。19.4.27)
1 秘に指定された文書等の閲覧は、官房長等(内部部局にあっては、官房長)の定めるところにより、保全に留意して行わなければならない。
2 省秘訓令第45条の2第2項の規定(注:頻繁に秘密文書閲覧を閲覧する職員に関し、閲覧簿への記録を省略可能にする規定)は、業務の円滑な遂行の確保の観点から定めた例外的なものであるため、その対象者は最少人数にしなければならない。
(文書又は図画の貸出し及び閲覧)
秘密保全に関する達(海上自衛隊達第16号。19.4.27)
第41条 中略
5 管理者は、秘に指定された文書又は図画を閲覧させる場所は、努めてその保管場所又は保全に適する場所を閲覧場所に指定しなければならない。
CIC・第1電信室・ソーナー室のような立入制限場所では、電子錠や異常発生時の警報装置などが整備されていて、秘密情報が不要な人物の手に渡らないような仕組みが構築されている。
対して士官室はどうか。
……それこそ、私が出入りしてますね。
そのとおりだ。来客の訪問があれば、真っ先に通されるのが士官室。そういう人間が来るとき、皆慌ててパソコンを撤収したり、カーテンで貼り紙を隠したりと、秘密情報を隠そうとしているが、そもそもその態勢が不適切なのだ。
確かに。一番人の目に触れるところで秘密情報扱ってるってのは、言われてみれば変ですね。
士官寝室も、居住者の私物カバンなどが同じ部屋に置かれているのに、その中で秘密情報を扱わせるというのがそもそもおかしな話だ。
その幹部に悪意があれば、容易く内容をメモってカバンに隠せてしまうぞ。
なんだか、携帯電話の持ち込み以前の問題になってきましたね。
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そもそも、職場内の持ち込み制限は必要?
一方、職場内への持ち込み制限は本当に必要なのか?と私は思っている。何かしら対策が必要だろう。だが、その重さは保全区画と同等である必要があるのか?
うーん。でも、業務用PCのあるところにUSBメモリ持ち込んだりするのは、やっぱり変じゃないかと思いますよ。
それはサイバーセキュリティ上の問題だろう?であれば、情報保証訓令で情報システム端末設置場所への私有可搬記憶媒体の持ち込みを禁止すれば済む話なのだ。
現行規則の気持ち悪さはどこから来ているかと言えば、秘密保全に関する規則であるにも拘わらず、秘密情報と関係ないところに制約を課しているからだ。
確かに……。
確かに、完全に野放しにするわけにはいかないのだ。こうした機器でスパイウェアを動かされれば、意図せず録画や録音をされて、部外へ情報が流出するおそれもある。
が、現行規則では、事務室だろうが倉庫だろうが、居住区画以外のありとあらゆる区画が持ち込み禁止の対象になっている。特に、陸上部隊では秘密情報はおろか、「注意」「部内限り」の不開示情報ですら到底やってくることの無い区画も少なくないのにな。
そこまで気にする割には、居住区画を含む艦全体に任務行動の状況を令達したりと、やっていることがちぐはぐなのだ。
だからこそ、私は区画をグレード分けする必要があると思うぞ。
居住区画として野放しにしても良いところ、保全区画として厳格に規制するところ、そしてその間に、保全区画ではないが不開示情報を頻繁に取り扱うので、それなりに規制するところと、持ち込んでも良いが、原則不開示情報を取り扱わないところだ。
うーん……規則が複雑化しません?
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士官執務室の設置を!
それはそれとしてですよ。幹部は実際、秘密情報や個人情報を多数取り扱わないといけないんですから、士官室でも士官寝室でもない執務空間が必要なんじゃないですか?
士官執務室だな。
護衛艦では「いずも」型に限り、「士官室」と別に「士官執務室」が設けられています。士官室は士官食堂や応接室として――つまり本来の「士官室」として扱われ、士官執務室はオフィスのように机やパソコンが並んでいます。従来艦では士官室で食事をする際、卓上の仕事道具(パソコンなど)を撤収しなければならなかったところ、部屋が別になったことでその必要が無くなったと、乗り組んでいる幹部からは好評です。
(一方、他艦の幹部からは「士官室に電話しても誰も出ない」と言われたり、士官執務室が存在すること(というよりは、士官室という専用の休憩スペースを確保されていること)への僻みをぶつけられたりしています……。)
確かに、キミの言うことはごもっともなのだが、一体どこにそれを設置するのかが問題だな。
そうなんですよね。DDGやDDHなら幕僚事務室を潰せばいいんじゃないかと思うんですけど。
そう気軽に言うがな、幕僚事務室を失った司令部はどこで仕事をするんだ。それは司令部機能の大幅な制約に繋がるぞ。
うう、、、やっぱりそうですよね……。
とは言え、何もせんわけにはいかんだろう。
既存艦艇では現状の態勢が続くことになるかもしれんが、今後の新造艦艇にはそうした区画を盛り込んでもらわないとな。でないと、いつまで経ってもこのままだ。
そんなスペース、用意できるんですか?
できるかではなく、するのだ。たとえ工期が延びようと、排水量が増えようと、建造費が増えようと。
そういう規則を作ったからには、規則に適合した艦を造るのだよ。それを許容できないなら、はじめからそんな規則を作るべきではなかったのだ。
にも拘わらず、海上自衛隊は保全規則が大幅改正されてから20年もの時間がありながら、既存艦艇の延長にしか艦を造ってこなかった。そのしわ寄せを今の乗員が受けているのだ。ここでこの悪しき風習を断ち切らねばならん。
その結果が現れるのは10年20年先ですか……。気の遠くなるような話ですね。
でもね、ボクはやっぱり今やらないといけないと思うな。
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……しかし、ウォークマンすらダメだから音楽も聴けないのは辛いですね。カセットテーププレーヤーでも持ってこようかな……。
何を言ってるんだ。カセットテープは可搬記憶媒体だぞ?
え?でもパソコンと繋いでデータの読み書きできるか、なんですよね?
愚かな……。その昔、フロッピーディスクが一般化する前は、パソコンのデータ保存はカセットテープでやってたんだぞ?パソコン雑誌に自作プログラムを応募するときはテープに記録して送付していたものだ。
そんなことしてたんですか……。
いや、さも見てきたかのように言いますけど、船務長が産まれるより遙か昔の話ですよね?
だから覚えておけ。USBメモリやSDカードだけが可搬記憶媒体だと思っていたら痛い目に遭うぞ。情報システムにデータ入力できるか否かが鍵になるのだ。
ええ、そうですね。
つまり、バーコードもマークシートもパンチカードも可搬記憶媒体だ。紙に文字を印字してたら、スキャンしてOCRでデータに起こせるから、これも可搬記憶媒体だ!!活字の印字された私物を士官寝室に持ち込んだ輩がいたら、この私が密告してやる!
く、狂っている……。
まあ、メールのPGP暗号も印字した紙からOCRでソースコードを復元した例がありますからね……。
この記事では、艦艇におけ携帯電話等の持ち込み制限について、次の内容を説明します。
- 艦艇では、士官寝室に携帯電話を持ち込みできない。
- 海自では、秘密保全の規則により、職場内への携帯型情報通信・記録装置、私有可搬記憶媒体の持ち込みが禁止されている。
- 士官寝室は職場と見なされる。
- 幹部の執務室として、行政文書の作成・管理が行われ、情報システム端末が設置されているため「居住区画」と見なせない。
- 士官室も同様
- 携帯電話だけでなく、音楽プレーヤー、カメラ、ゲーム機等も持ち込み禁止となる。
- 充電不能、防犯上の不安、家族メールの運用困難、目覚ましとしての使用不可など、多くの支障を生じている。
- 艦によっては、空室の士官寝室を居住区画としている場合もあるが……。
- 規則と艦艇の構造・業務フローの擦り合わせを行うべき
- 本来「サロン」「応接室」である士官室を執務室として使う海自
- 立入制限場所以外で秘密情報を扱うことは妥当か?
- そもそも職場内への持ち込み禁止の必要はある?
- 艦への士官執務室の設置が必要
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