この記事では、新たに始まる採用制度「幹部候補曹」について、次の内容を説明します。
- 幹部候補曹は、幹部自衛官の採用制度
- 採用時の階級は士長で、数年間の曹士勤務を経て幹部に昇任する。
- 令和7年3月募集開始、令和8年3~4月入隊
- 第1次試験は一般幹部候補生と同一の問題を使用し、併願可能
- 大学専門課程修了レベルの「専門記述」の区分が存在しないため、これまで難しかった高卒・短大卒でも採用を狙える。
- 試験対策は一般幹部候補生に準じてすればOK
- 幹部候補海曹の特徴
- 一般曹候補学生(曹候)+B幹確約
- 海自では、B幹(部内)として養成される。
- 入隊後4年2か月で幹部候補生学校へ入校
- 職域は主に水上艦艇・潜水艦
- 制度の評価
- デメリット
- 人間関係
- OJTの難しさ
- 経験と専門性の乏しさ
- 募集対象者の間口を広げるには良い方法
- 部隊側が制度の意義を理解する必要
- デメリット
- 意見
- B幹ではなく、A幹に組み込むべき
- 「部内A幹」の制度化により、A幹の多様化を狙える。
- B幹ではなく、A幹に組み込むべき

先パイ、なんか地本の人から新しい採用区分出来たから受けないかって誘われたんですけど。



あー、幹部候補曹ってやつだね。
ボクもまだ採用要項しか読んでないけど。
幹部候補曹とは
曹士を経て幹部になる制度



まず幹部候補曹は、文字通り幹部自衛官を採用する制度だよ。
ただ、入隊直後から幹部候補生学校に入校する一般幹部候補生と違って、曹士として数年間の勤務経験を経てから幹部になるのが特徴。



だから幹部候補「曹」なんですかね。



そういうこと。
入隊時の階級は士長で、練習員や補生に比べかなり早い時期に3曹昇任、で数年経ったら幹部候補生学校に、という制度だね。



前々からそれらしい情報はチラチラ出てたけど、いきなり募集開始するとはね。



もう募集は始まったんですか?



うん。今年(令和7年)の3月1日から募集開始して、採用された人は来年(令和8年)の3~4月に入隊するようだね。
回次 | 募集期間 | 1次試験日 | 2次試験日 |
---|---|---|---|
第1回 | 3/1~4/4 | 4/12 | 6/1~6/7 |
第2回 | 4/23~6/6 | 6/14 | 7/26~8/1 |
第3回 | 9/1~9/26 | 10/11 | 11/15~11/18 |
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一般幹部候補生と併願可



あれ、募集から入隊まで、結構長いんですね。



うん。一般幹部候補生と並行して募集するみたい。一般幹部候補生と併願可としているから、そっちで落ちた人を拾い上げることを狙ってるんだね。
3 応募資格
令和7年度 幹部候補曹採用要項
(2)一般幹部候補生と幹部候補曹の同一回の試験における併願は、同一区分(陸・海・空)に限り可能です。



なるほど、要は滑り止めですか。



しかも、第1次試験は一般幹部候補生の採用試験と同じ問題を使っているみたい。



ふむ……ということは、一般幹部候補生を受ける人は併願してもノーリスクってことですか。



そうだね。同じ問題を使うってことは、一緒に試験をやってしまうってことだから。わざわざ幹部候補曹のためだけに試験を受けに行かなくてもいいってことになるね。
それに試験対策の勉強は一般幹部候補生の対策をしておけばいいってことになる。


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● 配布データでは、権利上の問題から掲載されていない問題も網羅されています。
● 模範解答や解説も収録されているので、独学を強力にサポートしてくれます。
● 専門択一も最新の1年分を収録しており、模範解答も収録されています。(解説なし)
● 一番難易度の高い専門記述は、現在問題不開示とされデータも配布されていませんが、本書には参考として1年分のみ収録されています。(ただし、解答はありません。)
● 各年度の2次試験の小論文の問題も収録されています。(ただし、解答はありません。)



そして、第1次試験の特徴として、一般幹部候補生の採用試験の試験問題のうち「一般教養」と「専門択一」だけ受ければ良くて、「専門記述」は受けなくても良いんだ。





専門記述はちょっと難しいんでしたっけ?



うん。「一般教養」と「専門択一」は「大学教養課程修了程度」とされていて、学部生の前半……というか、ある程度の進学校なら高校卒業時点の学力くらいでも解けるような問題が出る。
対する「専門記述」は「大学専門課程修了程度」とされていて、大学でしっかり勉強しないとなかなか解けないような問題が出る。



だから、専門記述を受けなくて良い幹部候補曹なら、高卒・短大卒の人でも十分合格を狙えるんだ。



なるほど。2次試験はどんな感じなんですかね?



一般幹部候補生同様、小論文試験・口述試験・身体検査の3つがあるよ。現時点では何も情報が出てないからなんとも言えないんだけど、一般幹部候補生試験と同じ感じだと思っておいた方が良いんじゃないかな?







小論文の論述能力は大学で論文読んだり書いたりしてるでしょ?っていうのを前提に求めているから、幹部候補曹の試験ではもうちょっと簡単な問題が出るかも。
とは言え、対策無しで臨んで一般幹部候補生と同じ問題出たら泣くに泣けないから、一般幹部候補生に準じて勉強しておいた方が良いと思う。



まぁ、そうでしょうね。
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幹部候補海曹の特徴
曹候の再来?



じゃあ、海自における幹部候補曹――幹部候補海曹はどういう制度になるのか。



入隊してすぐ海曹になるって、なんか聞き覚えがありますね。先パイが前に言ってませんでしたっけ。



まさしく。海上自衛隊にかつて存在した、一般曹候補学生、通称曹候がソレだよ。





曹候は、昭和50年(1975年)に始まり平成19年(2007年)に終了した非任期制隊員の採用制度だよ。その最大の特徴は、入隊から2年で3曹昇任を確約したこと。



それって凄いことなんですか?



それはもう。最近はそこまで長くないけど、昔は入隊から10年経っても3曹昇任できない海士なんてのが珍しくなかったから、たった2年で3曹になれる曹候は特権階級以外の何者でもなかったんだ。



それに入隊から2年とは言うけど、教育隊での素養教育に、術科学校での術科教育、そして部隊実習に、また教育隊での海曹予定者課程と、そのほとんどの期間を教育で占められ、海士であるうちに実際に部隊の一員として働く期間はせいぜい半年くらい……って感じだったんだ。



なるほど……。お勉強だけしたらとっとと昇進と。やっかみを受けそうですね。



まあ、それを言い始めると幹部候補生も同類になるんだけど。
とは言え、幹部候補生の場合、部隊で働き始める頃はもう3尉になっていて、曹士隊員とは立場もやる仕事もまったく違うからね。
対する曹候は、なまじ同じ海曹士の立場で働くからこそ、能力不足や不公平感を強く感じることになる。



実際、まるで経験無く、海曹らしい仕事を何もできない若手3曹が、士長にいびり倒される、というアレな光景がよく見られたとか。



目に浮かびますね。



この幹部候補曹も、入隊から2年3か月で3曹昇任を謳われているし、部隊勤務の前に海士課程に入校することになっているから、ほぼ曹候と同じ制度とみて良いと思う。



教育の期間ってどれぐらいなんでしょう?



最初の教育隊の期間が約16週間とされているから、練習員や補生とほぼ同じか、ちょっと短いくらい。ゴールデンウィーク休暇や夏季休暇を含めると、4月初旬に始まって、8月中旬~下旬に終わるんじゃないかな?



そして、教育隊での幹部候補海曹課程を修業すると、部隊勤務の前に海士課程に行くことになっている。



海士課程って何です?



海士の隊員が実際にやる仕事について勉強する課程のことだよ。
教育隊の課程は素養教育と言って自衛官としての心構えとか、行進や敬礼のやりかたみたいな、海上自衛官共通で知っておかないといけないことを勉強する。
対する海士課程は、術科教育と呼ばれていて、装備品の操法や整備法を勉強するんだ。



これをやるのが江田島や横須賀にある術科学校というところ。
海士射撃課程とか、海士ガスタービン課程とか、特技職ごとに課程が分かれているんだ。



ただ、本当に部隊勤務前に海士課程に行くのかと言うと、ボクは結構懐疑的だなぁ。というのも、海士課程の開始時期や期間は特技によってバラバラなんだ。たしかに夏開始の課程は多いんだけど。
だから現行の教育態勢では、教育隊から海士課程に連接できない特技職がでてきてしまう。



じゃあ、教育隊を出たらそのまま海士課程に繋がるような、新しい課程を作れば良いんじゃないですか?



かつての曹候はそうだったんだ。一般海曹候補学生課程は前期課程と後期課程に分かれていて、前期課程が素養教育、後期課程が術科教育で今の海士課程に相当する内容になってたの。つまり、曹候専用の海士課程があった。



でも、今は教育に割けるリソースがまるで足りなくなってきているのに、そんな贅沢は出来ないと思うなぁ。海士課程や海曹課程を全部E-Learning化してしまおう、なんてアイデアが真剣に話し合われるくらい、余裕がない。
そんな中、約50名しか募集してないのに、そこから射撃だ射管だ水測だって、幹部候補海曹のためだけに海士課程を立ち上げると、3、4人しか学生がいない課程が乱立することになってしまうよ。



だから、教育隊を修業したら、練習員や補生と同じように部隊実習をやって、終わったら部隊勤務しつつ、最も早い時期の海士課程に入校するって形になるんじゃないかな。



なるほど。世知辛いものですね。
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確約されるのはB幹



で、海曹としてちょっと働いたら、すぐに幹部になるんですよね?
私みたいな一般幹部候補生に合流する形になるんでしょうか?



まだ受かってないだろ……。



いや、それなんだけどね?
採用要項を読む限り、幹部候補海曹はB幹として養成されるみたいなんだ。



えーっと、B幹っていうのは、海曹から選抜される幹部のことでしたっけ?







そう。正確に言うとB幹は、一般幹部候補生課程(部内課程)と飛行幹部候補生の出身者からなる。海曹から選抜されるってのは前者のことだね。



一般幹部候補生の採用試験に準じてやってるのに、A幹には組み込まれないんですか。



うん。そうだと明言はされていないけど、採用要項上は明らかだね。


令和7年度 幹部候補曹 採用要項から転載



採用要項に書かれた教育課程の図を見ると「外洋練習航海」という教育が予定されている。これは通称ミニ遠というやつで、A幹が参加する遠洋練習航海と違って、1か月ちょっと2、3か国だけ巡って帰ってくる練習航海なんだ。これに参加するのは部内と飛幹のみ。だから、この時点で幹部候補曹が部内幹部であることがほぼ確定する。



そして部隊に行った後に受ける教育が「幹部専門課程」になっているでしょ?これも部内が受ける教育として典型的なやつ。
A幹の場合も、部隊で砲術士とか通信士とかになると、「任務射撃課程」とか「任務船務課程」みたいな「任務課程」という術科教育を受けるんだ。部内もかつては任務課程を受けてたんだけど、平成末期から部内向けに特化した「専門課程」をやるようになったんだ。



なるほど。まあ、建前的にも、海曹から幹部になってるからB幹ってことなんですかね。



そういうことになるかな。
曹候も、公式には謳われていなかったけど、B幹の供給源になることを期待されていたって側面があったんだ。それを復活させて、確実にB幹を増やしたいんだと思う。



そういえば早い時期に、とは言ってましたけど、結局いつ幹部になるんです?



入隊の4年2か月後から幹部候補生になるよ。


令和7年度 幹部候補曹 採用要項から転載



第1期生の場合、
令和8年4月に入隊
令和10年7月1日に3曹昇任
令和12年6月下旬に一般幹部候補生課程(部内課程)に入校、それと同時に海曹長昇任、
令和13年2月に卒業してミニ遠に参加して、帰国後に部隊配属、その直後に幹部専門課程に入校、
で、入校中の令和13年7月1日に3尉昇任って感じかな。



早い早いと言っても、幹部になるのに5年くらいはかかるんですね。



まあ、それはしょうがない。でも、入隊したら5年なんてあっという間だよ。本当に。



ちなみに、曹候はあくまで海曹として働いてもらうための制度だったけど、数年海曹の身分で働いてから必ず幹部昇任、という点では航空学生に近いものがあるね。
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職域は水上艦艇・潜水艦



そういえば、この幹部候補曹って、採用された場合どこに配置されるんですかね?パイロットとかにもなれるんですか?



いや、採用要項を見る限りパイロットにはなれないね。
2 採用予定数
令和7年度 幹部候補曹採用要項
区分 配置される職種・職域 幹部候補海曹 海上自衛隊の航空操縦職域、音楽及び医療関係を除く全職域(主として、水上艦艇(機関幹部を含む。)、潜水艦(機関幹部を含む。)の職域)



この書き方を見るに、水上艦艇や潜水艦に配置されるんですか?



そういうことだね。「主として」というのがどのぐらいの強制力を持っているのか分からないけど、わざわざ明記しておくくらいだからね。
「よほど他職域の適性が高い人がいたら、そっちに回す」「艦艇への適性がまるで無かったら、仕方ないから検討する」ってくらいで、原則として水上艦艇と潜水艦になる、と捉えておいた方が良いと思うよ。
このあたりは、艦の幹部不足が色濃く反映されてるなぁ。
(なお、採用者が幹部になる頃にミサイル艇は引退している模様)
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制度の評価
曹候の二の舞……?



ぶっちゃけ、先パイはこの制度、どう思います?



まあ、まず始まってもいないものにケチを付けても仕方ないとは思う。
……ただ、ちょっと微妙かなぁ。



何と言っても、曹候の特徴を踏襲している、というのがちょっと不安だよね。
人間関係



イジメが起きるってことですか?



不公平感が再燃することは否定しない。少なくとも曹候はそうだったね。ただ、昔ほどは酷くならないんじゃないかな?



まず、曹候が現存していた頃に比べて、海士の3曹昇任が早くなっているからね。「艦では認められているのに10年選手」みたいな人は少ないし、なんだったら「昇任が早すぎて海曹らしい働きが十分にできない3曹」も珍しくはなくなってきた。



それに、今どきは人手不足が深刻で、ちょっと知識不足なくらいでいちいちしばき倒す余裕もない。言われたことを理解して、やらないといけないことをやって、やるべきでないことをやらない。これができるだけで、部隊から暖かく迎えてもらえるのが現代なんだ。



すごい後ろ向きな理由だった。



とは言え、昇任が早い分、周囲からの期待は大きくなる。
周囲が圧力をかけなくとも「失望されないようにしないと」っていうプレッシャーを感じることにはなると思うよ。
このあたりはA幹も同じ。
OJTの難しさ



もう一つ厄介なのは、OJT(On Job Training:学校などに依らず、現場で行うトレーニング)がきちんと行われるか、不安があることだね。



幹部候補海曹だと、どうしてそこに問題が起きるんですか?



OJTをやっても部隊へのリターンが少ないからだよ。
普通の海士の場合、初任海士として乗ってきたら、まず間違いなく、3~4年は同じ艦に乗り続ける。途中で海士課程に行っても、同じ艦に出戻りになることが多いね。3曹昇任までの間に艦が変わらない人は半分くらいいるんじゃないかな。
ここで海曹から教わった海士は、2~3年くらいの時間を掛けて少しずつ出来ることを増やしていく。そうやって、仕事を任せてもらえるようになっていくんだ。



でも、海曹が手間暇惜しまずに仕事を教えるのは、それをやっておけば、後で立派な乗員として仕事をやってくれるという確信があればこそ、なんだ。



なるほど、すぐいなくなる人に、わざわざ仕事を教えないんじゃないか、って話ですね。



そういうこと。
普通の海士の場合は、他の艦に転出したとしても、同じくらい仕事を覚えてきた他の海士が転入してくる。だから、海士を育てることのリターンは結構目に見える形になる。
でも、幹部候補海曹だと、他の海士より転出も早いし、幹部になったら覚えた仕事を直接やるわけではなくなってしまう。だから、報われない感が強くなる。ただでさえ忙しいのにね。



誤解しないで欲しいのは、海曹みんながみんな、それで手を抜くわけではないってこと。むしろ、しっかり教えようとする海曹が大多数のはずだよ。
でも、OJTは学校のカリキュラムみたいに厳格な管理下でやるものではないから、教える側の技量や、双方のモチベーション、実施する環境によって、学習効果がかなり左右される。そこに、不安材料がちょっとプラスされるって話。



一部、OJTをしっかりやらない艦が出てくるかもしれないってことですね。
経験と専門性の乏しさ



それより、ボクが問題だと思うのはB幹にしてしまうことだね。A幹なら良かったのに。



B幹だとなにか問題ですか?
こう言ってはなんですが、この幹部候補曹になる人って、A幹の試験にはパスできない人ですよね?そういう人が出世の遅いコースに行くのは当然だと思うんですけど。



辛辣だね。
ただ、ボクが言いたいのはそういう話じゃないんだ。



幹部候補海曹をB幹にするとマズいと思うのは、経験と専門性の乏しいB幹を作ってしまうからだよ。
わざわざ部内からの登用制度を設けているのは、もちろん幹部の人数を確保したいっていうのもあるけど、何と言っても経験と専門性のある幹部を中間管理職に据えておきたいからなんだ。



A幹は違うんです?



ボクみたいなA幹が今、こうして1尉の水雷長をやっているのは、あくまで将来指揮官になるための下積みに過ぎない。
本来この仕事には経験や専門性が要求されるはずで、ボクでは十分に務まらないんだ。でもボクみたいな素人を配置してるのは「このポジションの人間が何をやっているのか覚えておけ」ってことだよね。



一方、うちの水雷士みたいなB幹は、水雷長や砲雷長として長く活躍するんだ。だから、船務科や機関科の配置には就かないし、航空部隊や陸自空自に関して勉強する機会もない。
そこには、海曹として築いてきた経験を基盤に、特定分野を集中的に担当させるという狙いがある。





それなのに、基盤になる経験が十分でないなら、中途半端なB幹が出来てしまうってことですね。



そう。欲しいのは頭数であって、A幹のように広範な責任は負ってくれなくていいし、B幹のように専門分野への強みで指揮官を支えてくれなくてもいい、とにかく数が揃ってくれという意思が見え隠れするんだよね。



そういう制度の必要性は否定しない。実際、人手不足は深刻だからね。
ただ、せっかく制度を作るなら、もう少し質を追求しても良かったんじゃないか、とはどうしても思っちゃうよね。
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募集対象者にはお得?



しかし先パイ。色々デメリット挙げたけど、それって全部自衛隊側にとってのデメリットですよね?アレコレ言ったところで、若者が応募しないなら、お話にならないですよ。



そう、それはまさしくそのとおりだと思うよ。
募集対象者の立場に立ってみれば、決して悪くない、むしろお買い得な制度だと思う。



何と言っても、幹部になれることを確約されるのは、結構魅力的だと思うよ。部内からのウケこそ悪いけど、部外では幹部の社会的なステータスは結構高いんだ。ボクも入隊した時、祖父母や恩師から「あの双葉が少尉殿か!」って驚かれたもの。



ま、そうですよね。私も一般幹部候補生を受けようと思ってるのは、半分くらいは名声のためですからね。



給与も海曹より幹部の方が高いしね。
最近は民間の給与水準が上がってきていて目立たないかもしれないけど、勤続10年くらいで年収700万を十分に狙えるんだ。民間と違って景気後退したらボーナスが0になるなんてこともないし、決して悪くないポジションだと思うよ。
採用要項によれば、幹部候補海曹(大卒)の幹部任官時の月給は303,200円。これは3尉の12号俸にあたります。その後、勤続10年までの間に昇給機会(1月1日)は5回。優良昇給がどの程度あるのかにも依りますが、2尉26号俸(326,900円)くらいには到達しているはずです。この状態で水上艦艇に乗れば、広域異動手当なども勘案すると年収は700万円をオーバーします。



これまで、一般幹部候補生になろうと思ったらハードルが高くて、MARCHクラス以上の大学出身でないと結構厳しかったんだ。それより下、例えば日本大学や駒澤大学の出身者もいるけど、圧倒的少数派だね。



一般幹部候補生に合格しなかったら、自衛官候補生か一般曹候補生になるしかない。でも、幹部になれる保証はないし、なれたとしても10年近い下積みをしないといけない。それ以前に、3曹昇任でつまづくリスクも抱え込まないといけない。



「それでも海士から始めよう」なんて人は、なかなかいないと思いますよ。自衛隊以外にだって、仕事はいくらでもあるんですから。



そう。だからこその幹部候補海曹なんだ。
一般幹部候補生には手が届かないけれど、海曹士の身分では満足できない人。そういう人を狙い撃ちして、採用の間口を広げる。それこそがこの制度の狙いなんだと思うよ。



だから、こういう制度が出てきたこと自体は理解出来るし、決して悪くない話だと思うんだ。
部隊は制度の意義を理解すべき



だから、募集自体は必ずしも悪い結果にならないんじゃないかと思います。問題は、自衛隊側がこの制度を受け入れられるかじゃないですかね?



そうだね……。
OJTの問題なんかはまさにそうだと思う。



確かに頑張って育てても、仕事を覚える頃には、幹部になってしまうから仕事は楽にならないんだ。
でも、だからと言って、OJTを疎かにしてしまったらどうなるか。碌に仕事を知らない人がB幹として部隊で腕を振るうようになってしまう。直接的なリターンは無いかもしれないけど、OJTの結果は巡り巡って部隊に還ってくるんだ。



昇任の不公平感とかも同じだね。何のためにそういう制度が出来たのかを理解してないと、不満が溜まってしまうだろうし。
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意見:A幹に組み込むべきでは?



でもね、ボクはやっぱり、B幹にするのは止めた方がいいと思うよ。



専門性が足りないって話ですか?



うん。部内の部内たる所以だよ。やっぱり。水雷士みたいなB幹が活躍できるのは、現場で実際に経験してきたからこそだよ。その最大の強みを持たないB幹に何が出来るんだろうって、不安だよ。



それより、ボクは幹部候補海曹を部内A幹にしてしまうのがいいと思うな。



なんです?それ?



部内A幹は、既に入隊した海曹士が採用試験を受けてなるA幹の俗称だよ。B幹(部内)は選抜試験を受けてなるけど、部内A幹は一般の人と同じ採用試験を受けるんだ。





なるほど、上に行く人だけど、海士の経験もちょっとだけあるって人ですか。



ここで言う「経験」は技術的な話じゃなくて、感情的なものだね。偉い人の些細な振る舞いが、末端にはどういうインパクトを与えて、彼らは何を感じるのか。こればかりは実際に振り回されないと分からない。
それを知っている人が高級幹部になるのは、結構大事なことだとボクは思うんだ。



確かに、そういう経験も必要かもしれませんね。



でも、A幹って、将来的には上級の指揮官になるから高い知的能力を求められるんじゃないですか?
現行のA幹の採用試験に合格できない人を入れると、知的水準が落ちません?



確かにそのリスクはあるね。あんまりA幹の知的水準を下げると、将来まともに判断ができない指揮官が部隊を指揮するようになるかもしれない。それどころか、数十年単位で見ると、海自OBとして政財界の有力者にアドバイスするような人のレベルが落ちて、国全体の戦略が劣化してしまうかも……。



その一方で、A幹としての良し悪しは、採用試験のようなペーパーテストの成績だけでは決まらないと思うんだ。



先パイ、お言葉ですけど、大学のレベルはあんまり軽視しない方がいいですよ?
あんまり学歴を鼻にかけるようなことは言いたくないんですが、レベルの低いところだと、大学1年生の授業で私が高校2、3年生の頃にやったようなことしかしてないんですよ?大学2年になって、ようやく私の大学1年の授業やってるんですからね。



うん、それはもう、受験に失敗したボク自身が身に染みてるから……。



なのに、レベルの低い人達を入れた方が良いと思うんですか?



うん。というのも、ボクはA幹全員がめちゃくちゃ頭のいい人たちである必要はないと思ってるんだ。
実際、A幹の全員が将官や1佐になるわけじゃないし。それに、A幹のボトム層のレベルの低さを考えると、こういう制度に通る人たちの上位層の方が、誠実に知的労働をしてくれるんじゃないかと……。



うーん、そんな残念な人たちがいるんですか。



だからこそ、採用試験ではそういう奴らに負けてしまった人たちに、逆転のチャンスがあっていいんじゃないかと思うんだ。点数が低かった分、海曹士としての経験を何年か積んで、それを武器に同期と競り合えばいいと思うんだ。



これでA幹が増員されるなら、当然ボトム層に「足切り」が行われることがセットになる。
でも、ボクはそれでいいんじゃないかと思うよ。なんでこんな人がのうのうと2佐になってるんだって例は少なくないから……。



先パイ、苦労してきたんですね……



……というマイナスな理由もあるんだけど、なによりA幹には多様性があった方がいいんだ。A幹の強みは大局的に、多角的に物事を考えられるところにある。その強みにブーストをかけるうえで、間口を広げるのは悪くないと思うんだ。



ただただ頭の良い人が欲しいなら、ボクみたいな低学歴なんて採用しなければいいし、工学部や法学部、政治学部みたいな、仕事に直結する学部の人だけ採ればいい。ある意味、防大がそういうポジションだよね。みんなバカにするけど実際は結構ハイレベルだし、防衛に関係する勉強をずっとしてる。



なのに何故、一見無駄に思える人を入れているかと言えば、均質な組織は想定外の事態や環境の変化に脆弱だからなんだ。



未来は確かに頭がいいし運動も出来る。専門は情報工学で自衛隊でも将来性抜群。
でも、見えている世界は相当狭いよ。例えば、大学で論文読みたいとき、未来はどうしてる?



え?そんなの、論文閲覧サービスを使えばすぐ見られるじゃないですか。あとは図書館ですね。



そこからして、もう違う。ボクの大学だと、有料ライセンスが十分な数ないから、学生は使わせてもらえなかったし、図書館にも古い文献ばっかりで、欲しいものはほとんど無かったよ。
だいたい、全国で数件、それこそ未来が通ってるような大学には所蔵されてるから、コピーの取り寄せ依頼出してさ。それなりのお金払って、1・2週間待ってようやく届いたら、引用したい部分は単に他の論文を参照してるだけだった、なんて徒労を数え切れないぐらいしてきたよ。



そりゃあ、それだけ努力して掴み取った環境ですからね。



うん、そこについて別に不平を言うつもりはないよ。でも、未来にはそれを掴み取れなかった人の見えてるものが多分見えてないでしょ?
ボクらが育った場所だって、電車は数分おきにやってくるし、家から10分と歩かずスーパーもコンビニもドラッグストアもある。鉄道は40年前に廃線になりましたとか、出勤するには1時間雪かきしてからじゃないと、なんて地域の暮らしを想像したこともないでしょ?



あるいは家庭環境。母が専業主婦か、それとも共働きか。兄弟はいるか。近所づきあいはあるか。なんなら、親はまともな人か、なんてのも出てくる。子供の奨学金をパチンコに溶かすようなのも世の中にはいるからね。



絵に描いたような理想的エリート人生を歩んで(海自に道を逸れようとして)きた未来と、そういう世界と縁のないところで生きてきた人。何かを見たとき同じ考え方になんてなるわけがないんだ。
じゃあ、未来は自分と違う考え方をする人が敵に回ったとき、その戦い方を読める?あるいは、自分と違う考え方の味方に自分の意見を理解してもらえる?



なるほど。思考基盤が違うっていうんですね?
生のソ連軍人たちと接する機会のほとんどなかった米海軍軍人たちは、自国のミラー・イメージでソ連海軍を捉えようとし、それゆえに要塞化戦略というものがなかなか「理解しがたかった」わけである。
小泉 悠「オホーツク核要塞 歴史と衛星画像で読み解くロシアの極東軍事戦略」
また、米海軍にはもう一つのミラー・イメージがあった。前述のシュウォーツや、同じく元米海軍軍人であったデーヴィッド・ウィンクラーが述べるとおり、ソ連の海軍力は(米国と同じく)攻勢的な任務を帯びていると米海軍は信じていた。「米海軍の分析者や戦略策定者たちは、ソ連の提督たちがアメリカの提督たちがそうするように行動し、反応するだろうと考えることがあまりに多かった──つまり、ソ連側は死活的に重要な戦略海上交通線の支配権を争うために高緯度海域で艦隊対艦隊の行動を起こすだろう」ということが半ば所与の前提とされていたのである。



そう。人は誰しもが偏見や先入観を抱えて生きている。意思決定者の偏見はどう頑張ってもアウトプットに出てきてしまう。
自衛隊の募集広告なんか見ててもそうでしょ?「入隊者は愛国心と国防の意欲に燃えてやって来るはずだ!」って考えてる人が主導してるとイカしたCMになる(なお、一般人はドン引きする)し、「最近の若者は軟弱だから……」って思ってると「残業(代)ありませーん」とか「運動部出身じゃないでーす」とかいうCMになる。



お、おう……
偏見が意思決定に影響したケースとして、以前耳にした某艦の人事の話をしましょう。コロナ禍真っ盛りの時期、約半年の海外派遣から間もなく帰国する護衛艦Aの男性海士が、また約半年の海外派遣を予定している護衛艦Bへの異動を希望したことがあったとか。護衛艦Aの帰国から護衛艦Bの出国まではわずか1か月間+αしかなかったのですが、その隊員は「どうせ帰国しても短い休暇期間が終わったら訓練や任務に引っ張り回される」「休暇が取れてもコロナ禍なので、どうせ遠出も夜遊びも出来ない」「他にやりたいこともないので、海外派遣に行ってた方がまだマシ」というので、両艦の分隊長は人手不足の現状を考えれば理由はどうあれありがたいと、異動させることにしました。
ところが、ここに待ったを掛けたのが、派遣部隊指揮官になる某護衛隊司令。「何の理由も無く、そのようなキツい仕事をやる人間がいるものか。何か狙いがあるはずだから徹底的に調べろ」「間違いなくその海士は護衛艦BのWAVE(女性自衛官)とデキてる。派遣中に艦内で事故を起こされては困る」と無礼千万な見解を述べ却下してしまったのです。いくら説明しても納得しない司令に困り果てた両艦の分隊長は、司令の世界観(人は欲求に誘発されて動くので基本的にインセンティブ無くして人は動かない、海士はモノや性などの即物的な快楽を追求する)を分析した結果「実はどうしても欲しい高級車があるので多少無理をしても金を貯めたい、と申しておりました」とでっち上げ、最終的に司令の納得を勝ち取ったとか。
なんともアレな話ですが、その司令は、まさか「他にやることがないから」なんて消極的な理由で仕事をしてくれている者がいるとは、考えたことも無かったのでしょう……。私は私でこの話を聞いたとき、呆れた反面「こういう考え方をする人間がいるから、不正が暴かれ組織の健全性が保たれてるのかもしれないな」と妙に感心したことを記憶しています。まぁ、私なら仮にその懸念が生じても、己の名誉を優先して口にしませんが……。



偏見や先入観は、無くすことなんてできない。でも、それにモロに影響された意思決定をしてしまうと、決定的なミスをしかねない。
だから自分の偏りに気付いて、アウトプットに補正をかけてやらないといけないんだ。



それが、色んな背景の人と一緒にA幹になるってことですか。



うん。そういうこと。A幹は1課程も結構バラエティに富んでるけど、2課程の多様さは圧倒的なんだ。大学院で暗号学やってた人とか、一流メーカーの営業やってた人なんかがいると思えば、芸人崩れや風俗店のドライバーやってたようなキワモノすら入ってくる。
人生で優先順位の高いものとか、時間感覚とか、言葉遣い、表情。何もかもが違う。



そのバラバラな人達と切磋琢磨して、チームとして一丸となる練習をするんだ。そうすると、自分の意見ばっかり押し通そうとしても、絶対に上手くいかない。おおよそ理解出来ない周囲の奴らを相手に、なんでそんな振る舞いをするのかって考えないといけない。そういう経験を重ねていく中で、自分が周囲に比べてどういう偏りがあるのか、世の中には他にどんな考え方があるのかってことに気付くんだ。



だからね、その個々人で見れば能力に劣っているような人でも、チーム全体には必要なこともあるってこと、分かって欲しいな。
幹部候補海曹として採用された人が、才能を開花させて上に上り詰めるならそれでよし。他のA幹には勝てず、ボトム層に滞留することになってしまっても、それはそれで、他のA幹の育成に貢献したんだからよし。



なら、先パイ。先パイがさっき言ってた、今いるA幹のボトム層だって、先パイの育成には貢献したんじゃないですか?



うん、そうだよ。気に食わないし、正直意見を聞きたくはないけど、そういう奴らがいるってことを学ぶ上では、やっぱり必要な存在だったと思う。
だからって、周囲と同じように2佐まで上ってこなくていいよってこと!
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無い袖は振れぬ



さっきから聞いてましたけど、なかなか面白い意見ですね?



でしょう?やっぱりB幹にしてはいけないと思うんですよ。



まあ、言わんとしてることは分かりますよ。
ただ、水雷長。水雷長の意見には致命的に不足している観点がありますよ?



えっ、そうですか?



ええ。
……それはコスト、です。



ぐ……、
いや、でも。今回防衛予算増えますし……。



銭で解決出来る問題ならいいですね?でも、あなた方A幹を育てるのに、一体どれだけ金銭以外のリソースが投入されてるか、分かってます?



教育期間だけで見ても、幹部候補生学校の1年間に、練習艦隊の約7か月間。任務課程3回で約6か月間。スリーローテ終わるまでに、丸2年以上、ただの教育期間ですよ?その間、海自の機能を維持することには全く貢献しない人間が生まれるんです。
しかもこの後全員中級に行くから、それが終わる頃には丸3年ってことになります。
B幹は部内課程にミニ遠に専門課程を合わせても1年程度です。



……はい、そうですよね。



この間、学生の面倒を見る教官に、その他の学校職員。学生舎や教場、食堂のような学校設備。とんでもない量のリソースが食い潰されるんですよ。



練習艦隊だって、幹部候補海曹の募集人数約50名を練習航海に連れて行こうと思ったら、護衛艦/練習艦2隻は必要になります。ミニ遠なら1~2か月ですけど、遠洋練習航海なら半年ですよ。200名超の乗員がそれだけの期間拘束されるんです。
しかも、監視などの任務に就けなくなるから、他の艦艇の任務期間が延びます。



はい……。



そりゃあ、あるべき論で言ったらそうなのかもしれませんけどね。実際、そんなことに割けるリソースなんて、これっぽっちも無いんです。



いいですか?別に責めてるんじゃないんです。
ただ、せっかくA幹とB幹の存在意義の違いを考えるなら、そのA幹を育てるのに、いったいどれだけコストが掛かっているのかは認識した上で働いてもらいたいですね。



はい……すみません。



ふふ、これも「多様な観点」ってヤツですね!
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